(上の画像は amazonさんより引用させていただいたにゃ)
ジョジョとドラゴンボールはどちらが人生の教科書にゃ?
答えを先に言うにゃ。ジョジョにゃ。トラキチの中ではにゃ。
ちなみに、どちらの作品もトラキチはリアルタイムで読んでないんよ。ずいぶんあとになって単行本でまとめて読んだにゃ。
ドラゴンボールは、魔神ブウ編まで一気に。面白くって、途中まったく止まらなかったよにゃ。
「ジョジョの奇妙な冒険」の方は、第6部のストーンオーシャンまで。こっちはパートごとに、若干休み休みしながらにゃ。(なぜかジョジョは読むのに疲れるにゃ。絵が細かいからにゃろな)
とにかく、どちらも面白くて偉大な作品にゃ。まさに甲乙つけがたいことに間違いはないよにゃ。
ただ、どちらが人生の教科書か? と、なると、トラキチにとって答えはジョジョ一択にゃ。
なぜなら、大人のたたかいは、ドラゴンボールに主に描かれるような「格闘技的な力比べ」にはならないから。
ちなみに、学生までって、人生格闘技的にゃろ? 受験、スポーツ、恋愛…なんとなくリングが設定されてるにゃんか。
ところが、大人同士だとそこが変わってくる。どこの誰がどんな武器で、どんな方向から、どこを攻めてくるかわからない…。混沌とした、先の見えない、予測のつかないものになっていくにゃ。
その点、ジョジョで描かれているバトルって、まさに社会での大人同士の人生バトルそのものなんよ。
会社では大して目立たないサラリーマンが、実はひそかにネット上ではすごいコンテンツクリエイターになっていて、給料の額よりも稼いでる…とか、
裏の顔は、マンション何戸も経営している不動産オーナーだったり…とか、
いま、そんなかたちで勝負している人も世の中には多いけど、なんだかこれってジョジョの「スタンド」を持ってる人みたいにゃんか。
「くそ~、あいつ、営業での成績は俺より下だったのに、会社辞めてからメダカの繁殖成功させて有名になりやがった。YouTubeでもガッツリ儲けてやがる」
――にゃんていう場合、トラキチにはそのメダカがジョジョに出てくる重ちー君のスタンド(ハーヴェスト)のように思えてきたりしちゃうよにゃ(笑)
あと、ドラゴンボールは、基本つらい修行が実を結んでいく物語にゃろ? ジョジョも1部、2部まではそうにゃった。
でも、3部からは違っていて、主人公たちの持つ力は修行や努力で得るものではなくなったよにゃ。たまたま「矢」に刺されたとか、運命や巡り合わせがそれをもたらしているものになっているよにゃ。つまりタナボタにゃ。
タナボタ――。これってまさに人生にゃぞ。
たとえば、めっちゃ収益性の高い土地が相続で手に入っちゃう人… 生まれつき絵を描くのが上手い人… 音楽作る才能ある人… もっといえば、イケメンも美女もみんなそうにゃん。
ただし、問題はその活かし方で、高潔な精神こそが天与の能力を最大限に活かせる、そして最後には勝利する… が、基本としてはジョジョの描くところになってるよにゃ。
にゃんで、ジョジョに倣うとすれば、これからの世の中を育っていく子どもや若者に対しては、
「努力と修行で夢をつかみ取れ!」
よりも、
「自分に与えられたものを探し出せ、それを正しく活かせ!」
そんなジョジョ風の考え方の方が、変なリスクも少ないのかもしれないにゃ。
ちなみに、自分で会社をつくったことある人、多分実感してることが多いと思うけど、自分の会社って(自分がオーナーの会社にゃ)ものすごくスタンドに似てるんよ。
己の分身であり、能力を拡張してくれる武器そのものであり、場面、場面では法人として生身の自分とは別個の存在として振る舞ったり…
そんでもって、その会社が調子悪いと本体(オーナー=経営者)のダメージに直結するにゃろ? 倒産したら本体もえらいことにゃ。
なんで、マジ会社ってスタンドなんよ。ジョジョの。
にゃから、2005年の会社法で最低資本金制度が撤廃されて1円起業ができるようになったのって、ある意味、ジョジョの矢(スタンド能力を発現させるアイテム)が生まれたみたいなもんだったよにゃ。