道草反省日記

誰かの反省、それはみんなのお役立ち

山田優さんを叱ると得られる快感。人が想う「世間」と、その広さについての話

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今回の西日本の大雨で、大変な被害に遭っている中に、僕が生まれた県があります。

 

僕がまだ赤ん坊のうちに、ある事情から、両親と僕はそこを離れたんですが、

もしも当時、両親がその選択肢を選ばなかったら・・・

 

もしかすると、たとえば今回、洪水で流された家の中に僕のマイホームがあった・・・?

 

いわゆる多元宇宙のうちのどこかの世界では、僕はいま家の中に溜まった泥を掻き出していたり、

もしかしたら家族を亡くして泣いていたり、

あるいは自身が濁流の中で死んでいるのかも・・・。

 

べつにふざけているのでもなく、本当にそんなことを想いながら、「日テレニュース24」のネット画面なんかに見入っています。

 

そんな中、女優の山田優さんが、インスタグラムに能天気なコメントを書いて、叱られちゃってますね。

「お前は不謹慎だ!」って。

 

でも、叱っている皆さん、叱るのはいいけど、じゃあ、皆さんは先月、グアテマラで火山が噴火して、100人超の人が亡くなる大惨事となっている間、ちゃんと謹慎していましたか?

 

グアテマラの被災者への配慮をちゃんとふまえながら、SNSやブログに言葉を書き込んでいましたか?

 

ちなみに僕は全然そうしてませんでした。自慢じゃないけど。

 

でも、普通はそうですよね?

 

ミャンマーロヒンギャの人たちや、アフリカ各地の難民のことを四六時中考えて発言しなければいけないのなら、

「お腹空いた」「ランチ美味しかった」のひとことさえ、僕らは普段発するのが憚られることになってしまいます。

 

それって、何ででしょう?

なんで山田優さんは不謹慎で、僕は不謹慎だと言われずに済むんだろう。

 

グアテマラと西日本では、国が違うからでしょうか。

言葉が違うからでしょうか。

民族が異なるからでしょうか。

 

それらは、どれも言えることだとも思うんですが、

もっとわかりやすい線引きをするとしたら、それは「世間の内側かどうか」と、いうことなんだと思います。

 

世間の定義のひとつとして、「人間同士が、感情や感傷を共有できる空間的範囲」を挙げても、多分、不正解ではないと思います。

 

そうした意味では、山田優さんを叱っている人にとって、「世間は広い」んですね。

 

そして、その広い世間の中には、地理的にいえば、稚内から与那国島までがおおむね入っている。

なので、たとえ見ず知らずの人であっても、その世間の内側にいる人の悲しみや絶望には共感してあげることができる。

 

ただし、海の向こうで起きていることにまで感傷を強いられるのはしんどいので勘弁してほしい。

 

大体、そんなところなんでしょう。

 

さらにいえば、自分の持っている世間が広い人は、世間が狭い人を見ると、大抵腹が立ってきます。

 

軽蔑したくもなってきます。

 

「属性の低いやつらめ」「田舎のマイルドヤンキーめ」と。

 

要するに、勉強していて、ものを知っている人ほど、通常、その人の「世間」は広いんですね。

 

そんな世間の広い人が、より世間が狭い人をつかまえて、これを憎めば憎むほど、自分は世間の広い人間だと自己認識することが出来る。

 

これって、結構な快感でもありますよね。

 

そして、そんな風に、どこかみんなを見下ろした視線でこれを書いている僕がいま得ているものも、つまり快感・・・か。

 

山田優さんには申し訳ありませんが、優さんはいま、僕らこぞってのいやらしい快感の餌食になってくださっています。

 

以上、暑いんで、思うままに吐き出してみました。

 

おそまつ。

 

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(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)