麻原彰晃(松本智津夫)。あんたちょっとうらやましいとこあるよな

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オウムの地下鉄サリン事件から、もう20年以上経ってるんですね。

 

あの日は、僕はたしか朝から、自宅から直行で、横浜か埼玉の浦和あたりで仕事をしていたんでしたっけね。

 

お昼過ぎに、会社のある東京の都心に戻ってくると、なんとなく街が騒然としていました。

 

間もなくオフィスに着くと、同僚から、

「お、無事だったか」

「え、何?」

「地下鉄で事件が起きた」と、知らされました。

 

なんだかのんびりしていましたね。

スマートフォンの無い時代のことです。

 

考えてみれば、あのときまだ生まれていなかった人が、もう成人しているんですね。

 

月並みですけど、ずいぶんと月日が経ったんですね。

 

ちなみに、本当に印象深い年でした。

この1995年というのは。

 

サリン事件の2ヶ月前には、阪神大震災が起こっています。

 

この年を「インターネット元年」と、認識している人も多分多いんじゃないかな。

僕にとっては間違いなくそうです。

 

何かの壮大な幕開けを感じました。

 

不安と興奮が混沌として入り混じった、とても奇妙な時間をしばらく過ごした年ですね。

 

麻原彰晃(松本智津夫)、ついに死刑になっちゃいましたけど、

なんだか報道を観ていて、

妙にうらやましくなっちゃうところもあるんです。

 

娘さんたちが、オヤジさんの骨をもらって弔いたいとか、受け入れるとか、何やら言い合ってますね。

 

あんなオヤジでも、そう言ってもらえるんです。

 

やっぱり親子なんですね。

 

僕はというと、人生のハンドリングを大事なタイミングでしくじり、怠けてしまったので、子どもがいません。

 

もちろん、それは結果、気楽なことでもあるんですが、

 

今回、麻原のおっさんが首をくくられて以降、そんな弔い争いの報道を目にするにつけ、自分を振り返り、ちょっと寂しいのが正直なところです。

 

もっとも、

麻原の骨を御大層な仏舎利にして、ますます麻原教を宣伝してやろうなんていう人が、遺族やその背後にもしもいるのならば、それは勘弁してもらいたい。

 

なぜって、

麻原彰晃の宗教の中で、唯一、何かすくってあげられる点があるとしたら、それは解脱を説いたことでしょ?

 

彼の宗教を本当に受け継いであげたいと思うのならば、その人は、解脱こそを大事にしてあげなきゃ。

 

つまり、麻原彰晃からも解脱しなきゃ。

 

師匠の灰だの骨だの、真の解脱を目指す人にとって、もっとも必要ないものです。

 

そういうことです。

 

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(写真はゆずたんさん作・写真ACより)