僕には20歳くらい年上の友人がいます。
その人は創価学会員です。
仮にAさんとしておきます。
深くはお尋ねしませんが、どうやら、地域の信仰仲間の実質的リーダーといった感じの位置にある人のようです。
知り合ったのは、昔僕が住んでいた場所で、あるご近所トラブルが起きた際のこと。
原因が僕の住んでいた集合住宅にあったため、その解決にともに関わったのがきっかけです。
どこか気に入られたのか、「ぜひ飲もう」ということになり、以来たびたび食事やお酒をともにしています。
Aさんは、なかなかのインテリです。
読書家で、歴史好きです。
若干酒豪でもあります。
そして、面白いのは、お仲間内では珍しく、この人はちゃんと経典を読んでいるんです。
学会さんの根本経典(ですよね?)法華経を。
端から端まで。
「え? その人のお仲間は皆そうではないの?」
と、ここで質問が挙がりそうですよね。
そうではないんですよ。そうじゃないんです。
法華経の一節を唱えての朝晩の「勤行」を欠かさない方はいますよ。真面目な学会員さんのつとめです。(ただし、これも多分律儀にはやっていない人は多いです)
でも、ちゃんと法華経を全部読んで、中身を把握しているという人は、僕が知っているAさんのお仲間の内では、Aさんが唯一。ただ一人です。
ちなみに、僕もそうです。
昔、興味から、法華経を全部読んだことがあります。
なぜかというと、そうしておくと、お寺見物が若干ですが楽しくなるんです。
僕のお寺見物好きは、比較的早く、20歳くらいから始まりました。
聖書やギリシャ神話を知っていると、西洋美術が俄然面白くなってくるのと同じですね。
そんな目的で、僕もずいぶん過去にですが、法華経を読破しています。
それもあって、Aさんは、おそらく僕に対して、話し相手を得た気持ちになって下さったんでしょうね。
以来、親しくしています。
この人に、一度、学会さんの大きな集会に連れていってもらったことがあります。
「興味あるなら、見学してみないか」
と、いうことで、「ぜひに」と、乗ってみました。
選挙を控えた集会でしたね。
地域の公明党候補が、たすき姿で「票がほしい!集めてください!」の旨、絶叫する映像が流されました。
そのほか、特に宗教的なものが何かあったかといえば、壇上に立派で巨大な「一塔両尊」(法華経に出てくるシーンを造形化したものです)が置かれていたのと、出席の皆さんが全員で「南無妙法蓮華経」を唱えるくだりがあったくらい。
それよりも、もっと印象的だったのは、とにかく「勝利」という言葉が頻出すること。
心の勝利、選挙の勝利、みんなの勝利、
勝利、勝利、勝利・・・
ああ、時代だな、と思いました。
勝利と敗北、賛成と反対、資本と労働、東と西・・・
創価学会は戦前生まれですが、事実上、組織は戦後すぐからの育ちです。
世の中のこと、何にでも二元対立の概念が与えられていたかつての時代、戦後成長期の匂いが、会場中、暑苦しいくらいに充満していましたね。
ちなみに、今度いつか、このブログでもお話ししますね。
僕は若い頃、ひょっこり意図せず、労働組合運動が非常に盛んな大組織で働いてしまったことがあるんです。
なので、勝利、勝利、勝利の雄たけびが、とても懐かしい。
この複雑多様な現代に、二元対立の物差しをどうにかあてがおうと頑張るその健気さが、とても懐かしく感じられました。
多分、人間の集団って、信仰なんかよりも何倍も、「時代」を背負いやすいものなんじゃないでしょうか。
なお、Aさんは、節度をもった方です。
おそらく多少の葛藤は抱えながらも、現代社会に暮らす宗教人として、信仰というものを相対化して見る立場を欠かしません。
「おれは若い頃以来、学会に熱を入れてる。でも、念仏が好きな人にとっては念仏が性に合っているんだろうし、カトリックに帰依する人にとってはカトリックが至上のものなんだろう。それはあたりまえだ」
と、いったスタンスですね。
なので、それらの人よりももっと不純な、どんな宗教もつねに観光客的気分でしか見ることのできない僕のような人物であっても、支障なく、彼の友達になれたということです。
Aさんはよく「世界平和がわれわれ(学会)の目的なんだよ」と、言います。
けれども、その割にはAさんには、実は気にくわない人物が近所に一人いて、お酒が入った時など、僕に、
「あのオヤジ嫌いなんだよ、俺・・・」
なんて言ったりもして来ます。
僕はその「あのオヤジ」とも仲は悪くないんで、ちょっと妬いている様子なんですね。
健全ですよね。
「世界平和を唱えるなら、まずはご近所さんとの平和を目指せば?」
と、野暮にツッコむような話でもなく、
僕は、人間としてそれで十分健全なんだと思います。
以上、年の離れた友人のこと。
おそまつ。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)