世話は焼けても、困った時は誰より頼りになる。そんなわが友人は多分「坂本龍馬」なり?

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しばらく前、このブログに、

 

「発達障害とか、ADHDとかいった人間へのタグが、世の中に広まっていなかった頃」
に、僕の周りにいた4人の人たちのことを書きました。

(こちらです ↓ )

michikusakun.hatenablog.com

 

そのうえで、

 

・この人たちは全員、普通の人に比べて変わってはいたけれども、自分が変わった人間であることを自覚してはいなかった

 

・周りも、変わった人だなあ、以上に認識を深めようとはしなかった

 

・そのため本人も、周りを気にせず大いに能力を伸ばした

 

・4人皆、いまは地位や豊かさを得て、幸せに生きている

 

ことを添えました。

 

さて、そこで―――、

今日はそんな4人のうちのひとり、いまも僕が付き合っている、愛すべき大親友について、お話ししますね。

 

さて、まずは主役と待ち合わせ・・・

 

この友人と、たとえば街で待ち合わせすると、いつも大変面白いことが起こります。

 

彼は待ち合わせ場所に、すでに到着しているとします。

 

一方、僕は先んじてその姿を発見、
そこに向かって歩いていきます。

 

見ると、彼はなぜかつねに、キョロキョロと周りを見、ウロチョロとその場を動き回っています。

 

僕を探しているんですね。

 

不思議ですね。

 

たとえば、
「〇〇駅前。〇〇という家電量販店の玄関脇。〇〇の看板の前」

など、彼が立っているべき場所は、ちゃんと詳しく申し合わせて、決まってはいるはずなんですが・・・

 

彼はキョロキョロ、ウロチョロと、その場から2~3メートルくらい離れたり、戻ったり、やたらと動き回るんです。

 

しかも、待ち合わせの時間はまだ過ぎていない。

 

慌てる必要も、僕を心配する必要も、彼にはまだないんです。

 

やがて、彼の視界に僕の姿が映る。

 

すると、彼はきまっていきなり、足早に歩き始めるんですね。

 

こちらに向かってくる。かなりの勢いで。ぐんぐんと。

 

僕は笑って、
「いいです、いいです! 向かってこなくても。これからそこの量販店で買い物する予定になってるでしょ」

 

大概そんな風に大声で呼びかけ、彼に立ち止まってもらいます。

 

すると、次にはこんなことが起こります。

 

彼に立ち止まってもらったはいいんですが、往々にして、そこは雑踏の真ん中だったりするわけなんです。

 

そこに棒のように突っ立ってしまっている彼は、周りを歩く人に、ぶつかられたり、にらまれたり。

 

「ほら、みんなの邪魔だから、脇に寄って!」

 

すると彼は、あわてて道の端に身を寄せます。

 

同じことは、何十年、何十回と繰り返されていますが、まったく変化の兆しはありません。

 

僕が、もうすでに50代の半ばになるこの友人を

「あれ? 最近世にいう発達障害とか、ADHDというものに、ひょっとしてこの人、当てはまっているんじゃないか」

と、感じ始めたのは、実はほんの3年前です。

 

そう考えてさかのぼってみると、彼との長~い付き合いの中、これまでに起きた可笑しなエピソードに、ほとんど説明がつくんですね。

 

たとえば、

 

「〇〇さん、今度の〇〇会はあなたが写真担当ですからね」
「オーケー、わかった」

 

「あれ、〇〇さん、自慢の一眼レフは?」
「え? 必要なの?」

 

「今日は写真担当でしょ?」
「もちろん」

 

「写真撮るなら、カメラが必要でしょ」
「あ!そうか!」

 

つまり、「あなたの持ち物はカメラ」と、具体的に言ってあげないと大抵はこうなります。

 

「〇〇さんは、ホットコーヒーのMサイズでいいですね。僕が買って持っていきますから、その間に席をとっておいてくださいね」

 

ファストフード店などでは、そんな風にくどく頼んでおかないと、彼は絶対に席を確保しておいてはくれません。

 

僕がコーヒーを買い、受け取っている間、じっと後ろで、それを見守り続けるなどしてくれています。

 

さてさて。

 

僕はあまり詳しくないのですが、発達障害などといわれる方って、もしかして「空間」や「位置」といったものの認知をあまり得意としていないことも多いのではないでしょうか。

 

つまり、さっきの待ち合わせの話です。

 

述べたように、わが友人は、空間の中で自分の「位置取り」をすることがまるで苦手です。

 

見ていると、狭いところを通り過ぎるとき、あるいは自動ドアの前、

 

わが友人は、気は人一倍優しいのに、いつも前から来た人に上手に道をゆずれません。

 

相手にぶつかってしまい、
「どこ見とんじゃワレ!」と、凄まれはしませんが、叱られそうになったり、

 

そうでなければホテルのドアマンのような位置に直立、ドギマギした笑顔で、かしこまっちゃったりしています。

 

さあ、そんな彼ですが、

 

たとえば彼に会ったことがない人が、彼とはメールだけをやりとりして、仕事を進めたとしたら、どうなるでしょうか?

 

相手の頭の中に浮かぶのは、理論卓越した、一分の隙も無い文章を書くエリート経営者、といった感じだと思います。

 

彼はいま、企業の依頼をうけて専門の調べ物をする仕事を個人で引き受けていますが、まさに卓越した報告を正確無比に仕上げることで、クライアントから盤石の信頼を得ているのです。

 

収入も僕よりずっと上です。

 

老後の資金の蓄えも、おそらく万全でしょう。

 

健康さえ維持し続けられれば、きっとこれからも幸せに生きていくのではないかと思います。

 

さて、そんな彼が、一昨年のこと。
面白いことを言っていました。

 

ここ、ポイントだと思います。
(言いたいことは以前の記事と同じです)

 

思い起こせるかぎり正確に、記しておきますね。

 

「この前ね、本(雑誌?)読んだんだよ。坂本龍馬が発達障害だったって書いてあるんだよ。そういう方面、オレ全然詳しくないんだけどさ、何言ってんの? って感じだよね。そもそも人間の個性に変な名前つけるなっての。そういうカテゴリわざわざ発明して、人にあてはめるから、そういう病気だ、障害だってことになっちゃうんだろ?」

 

そして、さらに友人はエキサイト・・・

 

「変なカテゴリ決めなきゃ、全部個性じゃん!だって昔あったか? そんなカテゴリだのレッテルだの。無かっただろ? 無かった時代は、全部その人の個性だね、で済んでたじゃん。それじゃだめなのか!」

 

いや、それってまさにあんたのこと・・・!

 

僕は思わず吹き出しそうになってしまいました。

 

もちろん彼は、いわゆる昭和のおじさんでもありますから、現代の事情に若干そぐわない意見にはなっているのかもしれません。

 

ともあれ、以上は、
忘れもしない、ある駅ビルのエレベーターの上でのことでした。

 

わが友人は、エレベーターを降りるとき、いい大人のくせして足元がバタバタと、いつもかなりぎこちないのにも、僕は気付いています。

 

その日も、興奮がぶきっちょに輪をかけたのか、バッタン、バッタン、とやってましたね。

 

昔、僕がちょっとした成功をおさめていた頃は、嫉妬もせず、羨ましがりもせず、我がことのように歓喜。

 

その後、僕がピンチの時はひたすら助けてもらってばかり。

 

欲なく、いつも笑顔。

 

彼は本当に真の友人です。

 

おそまつ。

 

(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)