こんにちは!
前回の記事で、数年前に僕がライターとして手がけていた仕事のことをちょっとだけ紹介させていただきました。
ほかにも、いろいろな書き仕事を僕は経験しているんですが、あるときには、企業さんから執筆を任されていた公式ブログで、よく、季節の行事の話題をつづっていたこともありました。
たとえば、七夕にはどんな由来があるのか、とか、日本各地のひな祭りのあらましだとか・・・
数年間にわたって、連載で。
なので、こういった「和の行事」的なことについては、僕は、若干ほかの人よりも詳しい人材なんじゃないかとも思います。(完全に忘れてしまったこともたくさんありますけどね!)
そこで今回は、目前に迫る「お正月」にまつわるいくつかのことを簡単におさらいしてみましょう。
そもそも「お正月」とは?
お正月という言葉には、意味が3つ重なっています。
まずは1月そのものを示す意味。
さらには、1月に行われる年の更新にともなう一連の行事のことを示す意味。
もうひとつは、それら正月行事が行われている「期間」と、いう意味。
以上の3つですね。
個人的には3番目が僕は一番しっくりくるような気がします。
元旦
厳密には1月1日の夜明けの瞬間を指すというべきなんでしょう。なぜなら、「旦」という文字そのものが、日の出を意味しているからです。ただし、すでにかなり以前から、1月1日全体をもって元旦とする用例もたくさん見られるようです。
ちなみに、過去には「元朝」という言葉も別にあったんですよ。こちらだと、朝であることをはっきり示していますから、元日との混同が起こらなかったかもしれませんね。東北や北関東では、いまも元日朝の社寺への参拝のことを「元朝参り」と、呼んだりします。
元日
こちらが、本当の1月1日全体を指す言葉です。
三が日
文字どおり1月の1日から3日までを指す言葉です。三が日が事実上ワンセットの祝・休日になっている理由として大きいのは、やはり、官庁が3日までを閉庁日としたことでしょう。あるいは、4日を「寺年始」とする考え方が過去にあったことも(いまも若干残っていますが)、多少は影響しているのかもしれませんね。元日以降一定の間、死穢れがおよぶとして僧侶との接触を忌む習慣も、かつては存在していたのです。
なお、三が日のほかに、1日から5日までを「五かん日」として重視するところもあったようですが、いまはどうも廃れた様子ですね。話をあまり聞きません。
大正月(おおしょうがつ)
元日を中心に行われるお正月の行事のことです。あるいは、それが行なわれている期間という解釈でもいいでしょう。伝統的には「年男」が、この間、行事にかかわるさまざまな作業を大忙しで担っていました。
七日正月
「七草粥」が、この名残としていまもかなりしぶとく(?)残っていますよね。1月6日をもうひとつの大晦日である「六日年越し」「六日年取り」などとした上で、6、7両日にわたってさまざまな行事を行う地方や、かつて行なっていた地方も多いはずです。また、この7日をもって大正月の終わり、あるいは「松の内」の終わりとする地方もあります。
小正月(こしょうがつ)
1月15日を中心に行われる行事のことです。あるいは、それが行なわれている期間という解釈でもいいでしょう。地方によっては「返り正月」だとか「戻り正月」だとか、いろいろな呼び方がされてもいたようです。大正月が年男の活躍する男正月であるとの考え方に対して、小正月を「女正月」と呼ぶ場合もあったようです。江戸の奉公人などは、この小正月が一段落した16日に、里帰りの家路についたようですね。いわゆる「藪入り」の日です。
ちなみに、大正月の中心は1月1日、小正月は15日。これ、旧暦においては「朔」と「望」にあたっているんですね。1年最初の新月の日・満月の日です。正月が「大」「小」で対になっているのには、このあたりにも理由がありそうです。
さらにちなみに、
今年、ユネスコ無形文化遺産に選定されて話題となった、秋田の「なまはげ」は、いまは大晦日に行なわれていますが、本来は小正月の行事です。旧暦の小正月ですから、もう春が目の前なんですね。「さあ、もうすぐ雪も融けて、そろそろ仕事の季節だぞ」と、なまはげ達は、その年初めての満月の下、里に気合を入れに来ていたわけです。
鏡開き
神仏に供えた正月の鏡餅を下ろして、みんなで食べる行事です。関東では江戸時代のあるとき以来、1月11日に行なわれることになりましたが(幕府の意向ともされています)、地方によっては4日、15日、20日など、さまざまです。
松の内
門松を中心とした、いわゆる正月の「松飾り」を行っている期間が松の内です。元日に始まり、七日正月までが松の内だったり、小正月までだったりと、地方によって松の内の期間についてはさまざまな定義があります。おおむね、関東では7日までが松の内とされています。なお、松飾りというのは、歳神(年神)様の依り代ですから、松の内の終了をもって歳神様は神々の世界へ帰られます。松飾りやしめ縄などを焼く場合の「とんど」(左義長)は、歳神様を天に送りかえすことを主な意味とした行事です。
ところで、そうなると、歳神様へのお供え物を祭壇から下ろしてしまう鏡開きは、原則、松の内の間には行えないことになりますね。なので、おそらくほとんどの地方で、鏡開きは松の内の終わりを待って行われているように思います。皆さんのところではどうでしょうか。
二十日正月
1月20日をもって正月の祝い納め・終わりとする習慣や、あるいはそれにともなう行事のことを指します。関東はもともとはこの二十日正月を行うエリアだったようで、鏡開きはまさに20日の行事だったとされています。ところが、江戸時代になって、20日が三代将軍家光の月命日となったため、11日に繰り上げられたともいわれています(鏡開きのところで触れた幕府の意向とはこのこと)。
以上、ざっと知ったかぶりをしてみました。
いかがでしたでしょうか。
では本日もおそまつ!
▼こちらもどうぞ!
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)