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ラーメンという食べ物の不遇に、僕は、コンビニ店員さんの神々しさをなぜかいつも想うのだ

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今回はゆる~く、雑談させてください。

 

ラーメンとコンビニ店員さんのお話です。

 

いきなりですが、ラーメンって、ホントに不遇な食べ物だと思いませんか?

 

だって、どんなに手をかけたって、材料を吟味したって、値段を高くできないでしょ?

 

いえ、世間ばかり責めようというのではありません。僕の意識にももちろんあります。

それはこれ。

ラーメン業界が呪い、忌み嫌うこのひと言・・・

 

「ラーメンに1,000円以上はかけたくないなあ」

 

これ、おそろしい社会意識ですよね。

 

洋麺屋五右衛門さんのパスタで、ちょいと素材がいいと、1,180円。

 

「うん、安いな」

 

なんて言って、ピッツァまで頼んじゃったりして、飲み物なんかも入れて都合2,000円近く。

 

それで、

「満足。コスパ高いわ~」

 

そんなことほざいてる僕あたりが、ラーメン屋さんだと、タダで野菜足してもらって、タダの水グビグビ飲んで、挙句、

 

「900円・・・子どもの頃はラーメンってかならず500円以下で食えるもんだったのになあ」

ですって。

 

いまの多くの人気ラーメン屋さんのラーメンが、あの頃の食堂のラーメンの何倍以上の手間ひまや原価をかけられ、つくられているか?

 

想像できるくせにそのときはしないんです。

 

これ、なんだろ?

 

しかも、

「都心のラーメン屋って、ウマいけど狭くて嫌なんだよね、座席ギッチギチで」

 

儲からないから座席ギチギチにせざるをえないんです―――ってのに!

 

ホントに何だろ。

われわれのこのラーメンに対する辛い仕打ちって。

 

これ、おそらくそれなりの予算をかけて取り組むに値する社会的研究対象なんじゃないかと思いますよ。

 

冗談じゃなく、みずほ総研さんだとか、ニッセイ基礎研究所さんだとか、やられてみてはいかがだろうか。

 

加えて、一方のお蕎麦はなぜ高級路線を分化させ得たのか?

 

それも併せて、僕はこのことについての自分自身や社会の意識の裏側を知りたいです。

 

ところで、以上のラーメンとなんだか似てるなあ、と僕がよく感じるのが、コンビニ店員さんです。

 

あの対応しなければならないオペレーションの多様さって、何ですか?

 

しかも、それをこなさなければならない時間的制約のキツさ。何でしょう?

 

ムリ。僕にはムリ。

 

20歳や16歳に戻ってもムリ。

 

で、時給は、東京で約1,000円。

大阪や埼玉や千葉なんかだと、東京とまったく変わらず忙しいお店が多いのに900円台に下がっちゃうんだもんな~。

 

弁当だ、アイスだ、コーヒーだ・・・

PayPayだ、楽天ペイだ、Pontaカードだ、ヤフオク!だ、チケットだ・・・

「切手はカードOK? ダメ?」

「クーポンでもらえるのってこれ? え、違う?どれなの!」

「ねえ、ATM停まったよ!どうすんの!」

 

もう、どの店員さんも、神々しく感じます。

 

僕は、彼らの時給は、特に都心の駅近なオフィス街のお店では3,000円を超えてもいいと思う。本来の能力給としては。

嫌な客にいじめられる我慢料も含めて。

参考までに、やはり神々しい存在であるキャバクラのお姉さん達の最低時給ラインが、たしか3,000円くらいですよね。

 

以上、

一度みんなで解きほぐして考えたほうがよい状況になっているんだけど、社会がそれを解きほぐす暇がないため、放って置かれている類のひとつではないかな~と、僕が普段思っていることをちらりと。

 

おそまつです。

 

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(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)