こんにちは!
先日、代官山を歩いてきました。東京の代官山。
仕事のついでです。
起伏に富んだ地形。
洒落たお店の多い賑やかな通りから外れた路地の静けさ。
似た感じを味わえる原宿あたりよりも、僕は、坂の街・代官山の方がやや好みです。
代官山駅の中央口に降り立ち、角を右、左と曲がって旧山手通りに出たあと、右手(北西)に向かってしばらく歩きます。
すると、左手に公園の入口が見えてきます。
「西郷山公園」です。
景色のすがすがしい公園です。
東京都心の公園の中では、ここが一番、「山の上だなあ」という雰囲気を味わえるんじゃないでしょうか。
夜景もとてもきれいです。
西郷山公園の「西郷」は、人の名前から採られています。
西郷従道(じゅうどう/つぐみち)の西郷です。
西郷隆盛の弟さんです。
1902年(明治35年)没。
海軍大臣、内務大臣、貴族院議員などを歴任・・・
西郷山公園は、西郷従道の邸宅があった跡地なのです。
それ以前は、豊後岡藩藩主・中川家の抱(かかえ)屋敷(別邸)があったところでした。
代官山駅から歩いてくると、坂がなだらかなためあまり気がつきませんが、西郷山公園の西側は、駆け下るような崖になっています。
降りてみましょう。
なお、この日はネコが道案内。
降りきると、その先には道路が横たわり、住宅地が果てしなく広がっているように見えるんですが・・・
実は、家並みの向こうにはもうひとつ公園が広がっています。
「菅刈公園(すげかりこうえん)」です。
住宅地を迂回して向かうかたちとなります。
この菅刈公園もまた、西郷従道邸の跡なんです。
つまり、菅刈公園と西郷山公園はもともと一体だったんですね。
いまは道路と家々が、かき分けたように両者を隔てているんです。
そのうち、邸宅があったのは、西郷山公園の方ではなく、菅刈公園の方です。
洋館と和館が並んでいました。
洋館の建っていたあたりでは、この日は白い梅が咲いていました。
なお、明治10年代はじめに建てられたこの洋館ですが、いまも生き残っています。
ただし、場所は東京ではありません。
愛知県犬山市にある「博物館明治村」に移築され、大切に保存されています。
(博物館明治村のサイトより引用)
さらに、近年の調査で、この公園の地面のすぐ下には、大名庭園時代の遺構もさまざま残されていることがわかりました。
それらを目黒区が発掘、整備し、復元。いまは美しい庭がよみがえっています。
この庭園のそばに、建物があります。
和館です。
ただし、これはもともとあった西郷従道邸の和館ではなく、新しく建てられた目黒区の公共施設です。
いわば、新和館。
旧和館は、空襲により焼失しています。
新和館の中には展示室もあります。
主に西郷従道に関する資料が展示されています。
とても小さなミュージアムですが、なかなか見ごたえがありますよ。
入館は無料です。
さらには、モグラにトカゲ、ヒキガエル・・・
公園内には、都会の海に浮かぶ小島のような「小宇宙」に暮らす住人も、意外にたくさんいるようです。
以上、
「代官山に行くのなら、西郷山公園と菅刈公園(すげかりこうえん)で、東京の空を眺めなきゃ!」
と、題しての、二つの公園の紹介でした。
どうぞ皆さんも、機会があれば。
ところで、西郷従道といえば・・・
ひとの上に立つ者としてのすぐれたセンスと、懐の深さで知られた、この人物の魅力を語るエピソードをひとつご紹介しましょう。
西郷従道は、本当は従道ではなく「隆道」という名前だったんです。
お兄さん(長男)は隆盛(ホントは隆永)、弟は隆道という関係ですね。
ちなみに、もうひとりのお兄さんは隆広です。従道よりもさらに下の弟は隆雄(たかかつ)です。
なお、西郷従道の通称は「信吾どん」。
長男は「吉之助さあ」です。有名ですね。
さて、この「隆道(りゅうどう)」という、西郷従道の本当の名前(本来は諱・いみな)なんですが、明治になり、届出の際、役人に聞き間違えられてしまったようなんです。
「りゅうどう」→「じゅうどう」と。
さらに、役人はそれをあろうことか「従道」の文字で登録してしまいました。
西郷家の男であることを示す大事な「隆」の字が・・・!
ところが、それを知った西郷従道、
「なんと、オイはジュウドウでごわしたか!」
とか言ったとか、いわないとか。
そのまま気にせず、生涯、従道のままで通しました。
そのため、西郷従道は、彼を含む男兄弟の中でただひとり「隆」の字がつかない人となってしまっています。
僕はこの話、ものすご~く好きですね。
以上、おそまつ!