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「旧朝倉家住宅」…代官山で大正時代の東京の面影に触れられるおすすめスポットにゃ

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ここ、「代官山や中目黒あたりにはよく行くにゃ」という人でも、意外に知らないかもにゃ。

 

「旧朝倉家住宅」にゃ。

 

代官山駅の中央口を出て、徒歩4、5分程度。ホント、目と鼻の先に、大正8年(1919)に建てられた当時の立派な邸宅が残されているにゃ。

 

土地の傾斜を活かした美しい庭園も擁する風格あふれる建物にゃ。

 

 

それにしても、誰もが驚くと思うにゃ。こんな都心の一等地に、なんでこんな古い建物がひっそりと残って来れたんにゃろな?

 

その答えは「お役所」にゃ。

 

この建物は、戦後間もなく、持ち主だった朝倉家の手を離れ、ある団体に引き継がれたにゃ。ほんで、そのあとすぐに農林大臣の公邸になったにゃ。

 

次いで、大蔵省の所管に。経済企画庁がこれを借りて会議場なんかに使ったにゃ。

 

そののち、いまは文部科学省が所有。渋谷区が管理するというかたちをとってるにゃ。

 

ちなみに、建物の存続に危機が無かったのかといえば、あったんよ。2002年のことにゃ。国が売却を検討したんよ。

 

にゃけど、そのときに「保存しにゃさい!」と、声を挙げたひとりが建築家の槇文彦さんにゃ。

 

ちなみに、槇さん&代官山といえば、建築好きな人なら多分よく知ってるにゃ。「ヒルサイドテラス」にゃ。

 

そのヒルサイドテラスに行くと、裏手に、木立に囲まれた古いお屋敷の屋根が見えるにゃろ?

 

B棟とC棟の間の広場(ヒルサイドプラザ)の向こうにゃ。旧山手通りからも見えてるにゃ。

 

そう、あれにゃ。あれが旧朝倉家住宅にゃ。

 

とにもかくにも、役所~役所~役所…と、土地を活用して収益を求める必要に迫られないオーナーの手に渡り続けることによって、旧朝倉家住宅は人知れず、静かにこの地に在り続けてきたわけにゃ。

 

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この家を建てたのは、朝倉虎治郎という人にゃ。東京府議会議長や渋谷区議会議長をつとめた人にゃ。

 

虎治郎は、学歴には乏しかったにゃ。小学校も出ていなかったんよ。愛知県から上京して、まだ少年の身で深川の材木屋で働き始めたにゃ。

 

そのうち、働きっぷりがいいんで、やがて周囲に認められ、頭角を現したにゃ。

 

一方、朝倉徳次郎という人がいたにゃ。天保の生まれにゃ。代官山の農家のせがれにゃった。

 

この人は、江戸が終わって明治になると、農家の仕事を捨てて精米業を始めるんよ。当時のベンチャーにゃ。

 

ちなみに、なぜ精米がベンチャーなのかというと、明治時代というのは、日本人が揃って主食をお米に変えた時代なんよ。その前は多分8割方の人が雑穀中心の食生活だったんにゃないかな。

 

しかも、人口が増え、需要が一気に広がったんで、大市場が生まれたにゃ。

 

徳次郎はその大変革に乗ったひとりなんよ。

 

彼は、精米で稼いだお金で、代官山、中目黒、恵比寿一帯の土地を次々と買い上げ、大地主になったにゃ。

 

そんで、その徳次郎に人物を認められ、娘と結婚し、養子に入ったのがさっきの虎治郎にゃ。

 

その虎治郎、まちづくりとか、都市計画といったものにどうやらセンスがあったらしいにゃ。

 

「街の発展のカギは道路にある」と、彼は見たにゃ。

 

いまある旧山手通りは、実は朝倉家の広大な私有地の中を通る私道だったんにゃけど、虎治郎は、まるで遠い未来を見てきたかのようにして、これを現在のサイズにどーんと拡幅したにゃ。

 

おかげで、いまの代官山があるといってもいいんよ。

 

つまり、代官山といえば、なんてったってお洒落で、なおかつ閑静にゃろ?

 

この街の静けさは、日本がやがて車社会となって以降も、虎治郎のこしらえた道が自動車の通行を一手に引き受けてくれているため、保たれているというわけにゃ。

 

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旧朝倉家住宅の中へ入ってみたにゃ。一応入場料はあるけどたったの100円にゃ。

 

5,419.81㎡の敷地に、主屋573.76㎡、土蔵29.03㎡、附属屋42.96㎡…この料金にゃと到底維持費には間に合っていないんにゃないかな?

 

ちなみに、標準的なサッカーのピッチの面積が、7,140㎡くらいにゃ。

 

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建物は、書院、数寄屋、洋間と、様式が混交したつくりになってるにゃ。折衷というよりも混交・混在という感じだよにゃ。

 

和洋の建築に対するデザインと用途の解釈が、ひととおり済んだ時代の建物といっていいにゃろな。

 

日本の近代は、目に見える景色としては多分昭和30年代まで続いていたといえるんにゃけど、旧朝倉家住宅は、その後半期における邸宅建築の標本ともいってもよい存在にゃ。

 

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母屋の南西側は、庭に面してるにゃ。

 

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ここは、代官山の街をのせた広大な丘が、目黒川に向かって下る崖線になってるにゃ。

 

ちなみに、目黒川は桜並木で有名にゃ。川自体は大きな側溝みたいな姿で、若干見映えは悪いんにゃけどな。

 

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東京では、こうした崖線は、上に大きな建物が載っかったうえに、下からも建物がにょきにょき生えて…で、崖線らしい風景を失っているところも多いにゃ。

 

でも、ここは違うにゃ。

 

地形をうまく利用してつくられた、立体的な回遊式の庭園が残っているんよ。

 

庭が営まれることによって、地形がますます活かされているということで、自然と人が手掛けた絶妙な「作品」といえるにゃろな。

 

さてさて…

 

のんびり見学しているうちに建物がオレンジ色に染まる時間にゃ。

 

大正、昭和、平成の夕日に照らされ、旧朝倉家住宅は、さらに次なる時代も迎えようとしているにゃ。

 

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以上、繰り返すけど、この魅力的な庭と建物が佇むのは、代官山駅から歩いてほんの4,5分のところにゃ。

 

都会のオアシスにゃぞ~。よかったらぜひ行ってみてにゃ。

 

なお、開館時間など、詳しい情報はこちらにあるにゃ。▼

www.city.shibuya.tokyo.jp

 

▼さらに旧朝倉家住宅の近くにはこんなところもあるんよ!

www.michikusakun.com