私は麗奈といいます。
20代です。
大きな街で働いています。
いま会社が終って、飲み会の帰りです。
一人です。
実は、困ったことになってるんです。
変な人に付きまとわれているんです。
いま、私のいる場所は駅の構内です。
その人は、ついさっき、街の中で私に話しかけてきました。
40歳くらいの男の人。
酔っ払ってたみたいです。
私、無視したんです。
そうしたら、それが気に入らなかったのか、追いかけてくるんです。
あっ!来た!
いま、私は改札をくぐりました。
あ、あいつも来る。
改札を抜けてやってくる・・・!
急ごう!
急いで階段を駆け上がって・・・
私は電車に乗り込みました。
シューッと音が鳴って、ドアが閉まりました。
あいつは?
私は周りを見回しました。
ああ・・・ダメ。
いる!
隣の車両からこっちを睨んでる・・・!
逃げなきゃ!
こんなメチャ混みの車内を?
でも、
あっ!こっちに来る!
あいつ、人混みをかき分けて、こっちに向かってくる!
逃げなきゃ!
でも進めない!
みんな、怒らないで!
私、追いかけられてるんです!
そうだ、降りよう。次の駅で。
降りて、駅前でタクシーを拾おう。
タクシーで逃げよう!
電車が次の駅に停まりました。
私は飛び跳ねる勢いで電車を降り、プラットフォームへ駆け出しました。
もうすぐ、目の前に階段です。
早く降りて外に・・・急がなきゃ!
でも、高いヒールの足が・・・上手く走れない!
そのときです。
「痛い!」
私のノドに激しい痛みが走りました。
振り返ると、
あいつです!
あいつがいるんです!
ハアハアと息を切らして・・・
そして、手には私のちぎれたネックレスが・・・!
あいつ、私を必死で追いかけてきて、
ネックレスを掴んだんです!
そして・・・憎たらしいこの男!
「あ、切れた。ごめん」
ヘラヘラ笑いながら・・・赤い顔で!
「ヘヘ、ごめん」
許せない!
もう、絶対に許せない!
「あなた何なの!」
私は怒りの声を上げました。
男に詰め寄りました。
そして、全身全霊の力を込めて、この男が持っていたカバンをひったくったのです!
私はそれを放り投げました。
カバンは宙を飛び、プラットフォームを滑り、線路へ・・・
混み合ったその場所にいるすべての人が、唖然とした顔で私を見つめていました。
線路に落ちたカバン。
すると・・・えっ!
ああ!
なんてバカなの!
あいつ、フラフラとカバンを追いかけて、飛び降りてしまったんです。
線路に!
「危ない!」
誰かが叫びました。
「停止ボタンを押せ!」
だめです・・・!
間に合いませんでした。
あいつは、猛スピードで迫ってきていた通過列車にはねられました。
ドーンと、にぶい音。
嫌な音!
即死です。
ああ、私は、
私は・・・
突然話しかけてきた相手を無視しただけなのに・・・
とんでもない事件に巻き込まれてしまいました。
私は警察に呼ばれ、事情を聞かれました。
プラットフォームにいた人みんなが、自分の見た状況を詳しく話してくれたそうです。
よかった。
私は罪には問われませんでした。
でも、嫌な事件!
本当に嫌な事件!
早く忘れてしまいたい!
会社は私に1週間の休みをくれました。
休み明け、私は心と体にムチ打つような思いで、仕事に復帰しました。
それからひと月くらい経った頃のことです。
朝の通勤電車の中で、私は心臓の止まるような思いをさせられることになりました。
信じられない・・・!
あいつです。
死んだはずのあの男に、私はまた会ってしまったんです。
プラットフォームの人ごみの中から、あいつが、私を睨んでる!
また私を睨んでる!
電車が走り出しました。
あいつはプラットフォームにまだ立っています。
そうだ、人違いだ。
きっと人違いだ!
でも、そうではありませんでした。
その翌朝も、あいつはいるのです。
私が一人で暮らすマンションのある街の駅のプラットフォームに、あいつは一人で立っているんです。
そして、私を睨んでいる・・・!
幽霊?
まさか・・・
朝のラッシュの人ごみの中に?
もう、気が狂いそうでした。
私はその日、会社を早退しました。
あいつを見た駅ではもう降りたくない・・・!
ひとつ隣の駅で私は電車を降り、今度こその思いでタクシーを拾い、部屋に駆け込みました。
ドアを開け、急いで部屋に入り、鍵をかけ、
床に転がり込みました。
そのまま私は眠ってしまったようです。
目を覚ますと、窓の外は暗くなっていました。
時計は夜の9時を回っていました。
真っ暗な部屋の中で、私は立ち上がりました。
「頭がおかしくなってるんじゃ・・・」
独り言をつぶやきました。
「そうだ。何か食べなきゃ・・・」
その時です。
玄関で音がするのです。
カチャカチャと、鍵をいじる音です。
サッと、身の毛がよだちました。
全身にゾッと鳥肌が立ちました。
(誰・・・!)
私は忍び足で、ゆっくりと玄関へ近づきました。
ドアスコープを覗いてみました。
息が止まりました。
あいつです!
あいつがいるのです。
なんで?
なんで?
なんで?
死んだはずなのに・・・!
私は思わずその場に座り込みました。
カチャカチャと、鍵穴に何かを突っ込むような音が、まだ鳴っています。
カチャカチャ・・・カチャカチャ・・・
逃げなきゃ!
部屋は3階です。
ベランダに出て、飛び降りる?
まさか、私が死んじゃう!
だったら、隣の部屋に?
防火壁を蹴破って?
その時です。
カチャカチャと鍵をいじるような音が、突然止みました。
次の瞬間です。
ああ、どうして!
ドアがギイ、と鳴りました。開かれてしまったのです。
その時、私はとんでもないことに気がつきました。
ああ、忘れている・・・
チェーンロックが・・・ロックがかかっていない・・・!
ゆっくりと開いていくドア。
私は覚悟を決めました。
そっと歩き出しました。
その先にキッチンがありました。
部屋の中は真っ暗です。
でも、ここは勝手知った私の部屋なのです。
キッチンには大きな引き出しがあります。
私は、それを静かに開け、中から包丁を取り出しました。
その包丁を私は両手に握り締めながら、玄関へ向かいました。
ドアはもう完全に開いています。
真っ黒な男の影が立つのが、そこに見えていました。
私は床にしゃがみ込みました。
男が中に入ってきました。
闇の中、手で壁を探っているようです。
明かりのスイッチを探しているのです。
(いまだ。行こう!)
私は立ち上がりました。
同時に駆け出し、黒い影に向けて、思い切り体を飛び込ませました。
包丁を突き刺しました。
刃渡り約18センチの包丁です。
あっけないくらいに、深く、深く、男のみぞおち辺りに刺さっていきました。
そして、そのとき私には判ったのです。
ああ・・これは、
幽霊でも幻でもない!
たしかにここに人間がいる・・・!
包丁を握った両手に、私ははっきりと人間の体温と肉の手応えを感じていました。
私は、この晩、殺人犯になりました。
私に刺され、殺されたのは、あいつの弟でした。
駅で電車に轢かれて死んだあの男には、双子の弟がいたのです。
弟は、兄の復讐をしようと、私の部屋の場所を調べ、通勤経路も調べたうえで、嫌がらせをしに来ていたのです。
警察は私に同情してくれました。
でも、遅かった・・・
私は人を一人殺してしまいました。
いえ、もしかしたら、二人殺してしまったということになるのかもしれません。
ああ、でも、
でも・・・
私がいま本当に苦しめられているのは、そんなことじゃないんです。
いま、私をもっとも苦しめているもの・・・
頭が壊れてしまいそうなくらい、私を悩ませている問題って、そんな程度のことじゃないんです。
私はいま拘置所にいます。
その窓から、毎晩、私は覗かれているんです。
誰に?
あいつらです。
ほら、いまもいる!
あの兄弟が、私を睨んでいるんです。
小さな窓の外から、毎晩、毎晩、
私を睨みにやって来るんです!
おかしいでしょ?
おかしくありませんか?
だって、言ったじゃないですか。ここ拘置所ですよ!
しかも、この部屋は地上5階にあるんですよ。
窓の外には手すりの1本さえ付いていないんです!
そこには、人なんか、
立てるはずがないんです・・・!
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この夏の怪談シリーズは、トラキチが ’90年代に、オーディオドラマ用に頼まれて書いたものにゃ。もともとはセリフと「ト書き」で構成された脚本にゃ。紙の原稿がひょっこり出てきたので、短編小説風に直して、ここに載せることにしたにゃ。スマートフォンがまだ存在しない時代が背景になってるにゃ。
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(写真は写真にkiss! x7さん作・写真ACより)