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「いい」を「良い」と書くのヤメにゃいか? 「いい」と「よい」は違うんにゃから

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提案があるんにゃ。

 

「いい」を「良い」とやたら表記するにゃろ。最近。

 

これヤメにゃいか?

 

もちろん「良い」で「いい」と読ませても、間違いではにゃいぞ。

 

でも、これ「よい」と紛らわしいよにゃ?

 

たとえば、「良い雰囲気だね」って、書くにゃろ?

これ、「いい雰囲気」なのか、「よい雰囲気」なのか、読み方判らにゃいよな?

 

でも、どっちかっていうと「よい」が正しそうだよにゃ?

 

なぜなら、

「良き友」=「よきとも」にゃろ?

「良き友」=「いきとも」とは言わにゃいもんな。

 

「良」の字は、どっちかっていうと、音は「よ」にゃろ?

 

なので、

・「良い」は「よい」と読ませたいときだけに使う

・「いい」と読ませたいときは、「良い」と書かにゃい

 

それでどうにゃ?

 

それがトラキチの 提案 にゃ。

 

ちなみに、にゃんでそんな提案をするか?

 

トラキチが思うに、「いい」と「よい」は、使い分けたほうがいいんにゃ。

 

なぜなら、「いい」と「よい」は、微妙に意味が 違う から。

 

どう違うか、 説明するにゃ。

 

まず「よい」。

これ、われわれ、普段、実は パブリック な肯定を示すときに主に使ってるんにゃ。

 

一方、「いい」。

これは 私的 な肯定を示すときに主に使うんにゃ。

 

たとえば、泥棒のリーダーが、子どもに万引きをさせるとするよにゃ?

 

仕事を終えて帰ってきた子どもに、「へっへっへ。上手くやったな。よい子だ」って言うか?

 

言わないにゃろ?

 

そのときはこう言うよにゃ?

「へっへっへ。上手くやったな。いい子だ。小遣いをやろう」

 

なんでこうなるかというと、万引きは、パブリックにはいけないことにゃろ?

にゃから、泥棒のリーダーは「よい」とは言わないんにゃ。

 

ただし、この人にとって、子どもの万引きの成功は、ワタクシ的にはいいことだよにゃ?

にゃので、その子どもは、こいつにとっては「いい子」になるんにゃ。

 

そういう使い別けが、「いい」と「よい」には、実はひそかに 隠れて いるんにゃ。

 

にゃから、「いい」も「よい」も、無分別に「良い」と書いて、まぜこぜにするのはよくないんにゃ。

 

小紋着姿のかたせ梨乃さんに、

「あら、あんた。いい男じゃないのさ」

 

言われてみたいよにゃ?

 

でも、このセリフが

「あら、よい男じゃないのさ」

 

これだと、もはや脚本の書きミスにゃろ? ぜんぜん粋じゃないよにゃ?

 

・「いい」は、主に個人的な価値観や、美感、損得、好悪にもとづいて使われる言葉

・「よい」は、主に公的な視点からの良否を示す言葉

 

われわれは意識しないうちに、自然に、この使い分けをしてきてるんにゃ。

 

にゃので、SNSの「いいね!」も「いいね!」であって、「よいね!」ではないにゃろ?

 

SNSの「いいね!」は、私的な肯定であることが多分に想定されているから、ごく自然にこうなってるんにゃ。

 

本来の日本語って、実は結構貧困な言葉にゃ。

 

たとえば、

取る 採る 摂る 撮る 執る 獲る 捕る 録る… 全部「とる」にゃろ?

 

漢語の助けを借りて、しかも文字にして、やっと理解とコミュニケーションが成立するケースが、日本語にはとても多いんにゃ。

 

そんな中で、「いい」と「よい」は、発音 の時点で先に意味を 別けてる にゃろ?

 

これがいつどう発生したのか、経緯をトラキチは知らないんにゃけど、この使い分けは、日本語の中では上出来な工夫だと思うにゃ。

 

にゃので、それがどんどん崩されていくのが、トラキチはすごく惜しいんよ。

 

「いい」を「良い」と表記するのはヤメにゃいか?

と、みんなに提案したいんにゃ。

 

「良い提案だね」

 これ、社会的に公正で優れたアイデアだったら「よい提案」と読むべきにゃ。

 

でも、悪だくみだったら、

「いい提案だね(ニヤリ)」だよにゃ?

 

つまりそういうことにゃ。

 

(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)