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喜多院のどろぼう橋 <川越の伝説>第5話

 

川越で一番大きなお寺「喜多院」にはたくさん伝説が残されてるにゃ。

 

その中でも一番有名なのが、境内にある一本の橋にまつわるこの話だろうにゃ。

 

題して、「どろぼう橋」の伝説。

 

どろぼう橋は、いまも喜多院境内西側、このお寺の本堂にあたる慈恵堂の斜め裏手にかかってるにゃ。喜多院境内と外部とを隔てる空堀を跨いでるにゃ。

 

いまの橋は鉄筋コンクリート製にゃけど、江戸時代はもちろん木製で、丸木橋だったともいわれてるにゃ。

 

さて、そんな遠い江戸の頃のどろぼう橋。

 

まだ「どろぼう橋」とは呼ばれていないこの橋をある夜、急いで渡る男の人影があったそうにゃ。

 

人影は、境内の方へ向かったにゃ。

 

すると、その後ろから、松明をかざして数人の役人がバタバタと追いかけて来たにゃ。

 

ところが、彼らは、どろぼう橋の直前でなぜか急停止。進むのをやめてしまったにゃ。

 

なんでか?

 

実は当時、喜多院の境内は、町方の役人が勝手に立ち入れない場所だったらしいんよ。つまり、管轄違い。寺社方の領分ということだにゃ。

 

さて、そんなわけで、深夜の喜多院境内に潜り込んだこの男。正体はどろぼうにゃ。町で盗みをはたらき、見つかって逃げてきたところだったんよ。

 

男は、喜多院境内に町方役人が踏み込めないことを知ってたにゃ。

 

なので、追いかけられたときの逃げ場所はここと、あらかじめ決めていたみたいだにゃ。

 

にゃけど、この日はツイてなかったにゃ。

 

境内を駆けているうちに男は見回り中の寺の下男たちに見つかり、あえなく捕まってしまったにゃ。

 

でもって、ご本尊元三大師様の前に連れていかれたにゃ。盗みなどやめて、ここでしばらく修行するように、お坊さんたちから諭されたみたいだにゃ。

 

すると、思うところがあったのか、男は観念してその後まじめに修行に勤めたらしいんよ。

 

その態度をお寺の方でも認めて、後日、役所に男の無罪放免を願い出てやったにゃ。ついでに奉公先も世話してあげて、男は晴れて寺を出て、どこかの店の奉公人になったらしいにゃ。めでたし、めでたしだにゃ。

 

男はその後、二度と悪いことはせず、真面目に一生を過ごしたそうにゃ。

 

ところで、どろぼう橋の名前の由来としてはほかにも話があって、「喜多院に逃げ込もうとしたどろぼうが橋の上から堀に落っこちたから」なんていう、単純なのも伝わってるにゃ。

 

けど、まあ、昔話としては「どろぼう改心編」が有名だし、そっちの方でいいだろうにゃ。

 

上は喜多院本堂・慈恵堂。潮音殿の異名を持つ建物にゃ。堂内にいると波の寄せたり引いたりする音が聴こえてくるという、こちらも「伝説」のある場所にゃ。

 

喜多院多宝塔。高さは13メートル。埼玉県の有形文化財だにゃ。初夏には周りでアジサイが咲くにゃ。