川越のシンボルといえば、もうなんといっても「時の鐘」なんにゃけど、この時の鐘にまつわるあまり知られていない面白い昔ばなしがあるので、紹介するにゃ。
名付けて「連れてっての鐘」伝説にゃ。
時は、江戸時代の半ば。川越藩主に秋元喬知(あきもとたかとも)という人がいたにゃ。
佐倉藩戸田家から甲州谷村(やむら)藩秋元家に養子に入った人で、のちには老中に上り詰めるにゃ。当時、かなり仕事のできる優秀なエリートだった人にゃ。
その秋元喬知が、甲州から川越に国替えになることが決まったとき、谷村城内に「長久の音(ね)」と呼ばれる鐘があったそうにゃ。
その鐘、すご~く重いんよ。
なもんで、藩ではこれを大事にしてたんにゃけど、今回の引っ越しでは川越まで持って行かず、置いていくことに決めたそうにゃ。
すると、その一夜明けた朝のことにゃ。長久の音が、鐘楼の床に落っこちてるんよ。
見ると、鐘を下げる金具から、なぜか鐘のてっぺんに付いた龍頭が外れてしまってるにゃ。
そこで、早速大勢集まって、長久の音をもう一度梁から吊り下げたんにゃけど、不思議なことに、次の朝もまた鐘は床に落ちて座ってるんよ。
しかも、それが翌日も、そのまた翌日もと、キリがなく続いたにゃ。
それを見て、家臣一同考えたにゃ。
「さては、この鐘は川越まで一緒について行きたがっているのでは?」
どうにか頑張って、長久の音を川越まで運ぶことにしたそうにゃ。ちなみに、作業は思いのほかスムースに、ケガ人も出ることなく済んだそうにゃ。
そんなわけで、長久の音は、その後しばらくの間、川越の時の鐘として活躍したらしいんよ。
でもって、秋元家は、喬知から三代あとの凉朝(すけとも)の時代に、今度は出羽へ転封になるんにゃけど、その時も次の任地に連れてってもらったそうにゃ。
川越の面白い言い伝えのひとつにゃ。