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漢字は読み間違えていい。ヤバいのは意味を変えることにゃ

 

漢字って、読み間違えると恥ずかしいよにゃ。

 

たとえば、少し前に、国会議員が「手当」を「てとう」と読んで、ずいぶん馬鹿にされたことがあったよにゃ。

 

もっと前には、サッカー選手が「清々しい」を「きよきよしい」と読んだ。

 

にゃけど、そんなのって珍しいわけじゃなく、われわれの周りでもしょっちゅう起こることだよにゃ。

 

間違ってる本人に、周囲が知らせてあげられず、気まずい雰囲気が流れたり、誰かが指摘されてるのを見て、

 

(ヤバい、俺も間違ってた―――!)

 

冷や汗かく思いするなんて、誰もが経験することにゃ。

 

そこでいうけど、トラキチは、漢字って、読み前違えても実はそんなに問題じゃないと思ってるんよ。

 

漢字の読み間違えは、そんなに恥ずかしいことにゃない。―――っていうか、重要なマターじゃない。

 

なんでか?

 

いまからその話をするにゃ。

 

漢字は音を気にしない

 

そもそもにゃけど、漢字って、音(おん)は気にしない文字にゃろ?

 

「あいうえお」とはまったく違う。

 

「abc」とも違う。

 

言ってしまえば、音は読む方に任せてしまうのが漢字にゃんか。誰にどう読まれるか(発音されるか)は、そもそも気にしてないのが漢字にゃ。

 

どういうことかって?

 

たとえば、すごくわかりやすいのが、われわれ 日本 の国名にゃ。

 

これ、「ニッポン」とも読むけど、「ニホン」と発音することもあるよにゃ?

 

でもって、和語をあてて「やまと」とか「ひのもと」と読ませるときもある。

 

それに加えて、北京語(正しくは中国普通語)だと「リーベン」にゃ。

 

広東語だと「ヤップン」にゃ。

 

台湾語だと「リップン」とか「ジップン」か。

 

朝鮮語だと「イルボン」だにゃ。

 

上海語だと「サッパン」にゃけど、いまはほとんど「サーパー」とか、なんなら「サパ」になってるらしいにゃ(笑)

 

ちなみに、ベトナム語の「ニャッバン」。これも、おそらく元は漢字の「日本」の読みにゃろ?

 

もう、マジで バラバラ にゃん!

 

つまりは、広大なアジアのあちこちで、どこの誰がどう発音しているのか、さっぱり見当がつかないのが、漢字というこのややこしい文字にゃ。

 

ただし、そうはいっても、上に挙げた「ニッポン」とか「リーベン」とかの音は、ある一定の地域では多くの人に使われているということで、いわばオフィシャルなものにゃ。

 

その点、読み間違いとはちがうといえば違うよにゃ。

 

にゃけど、それでも、本質としてこうは言えにゃい?

 

「漢字は音はどうでもいい」

 

にゃもんで、トラキチは、漢字の読み間違えは、繰り返すけどそれほど恥ずかしがるべきことではないと思ってる。

 

その意味では、いろいろ非難されてる「キラキラネーム」ってあるよにゃ?

 

ちなみに、この前すごいの見たにゃ。

 

紅葉 ―――もみじちゃん? くれはちゃん?

 

いやいや、メイプル ちゃんだって!

 

でも、これって、実はおかしくないことかもしれにゃいぞ。漢字の本質にはちゃんと沿ったものといえるのかもしれにゃいぞ。

 

メイプルちゃん、なんだかカワイイしにゃ(笑)

 

マズいのは意味の改変

 

一方、トラキチが思うに、マズいのは漢字の意味を変えることにゃろな。

 

なんでって、意味こそが漢字の にゃもん。

 

漢字はひたすら「意味」を伝えるための道具にゃ。

 

たとえば、平仮名の「あ」という文字に音はあるけど、意味はない。

 

アルファベットの「a」にも、音はあるけど意味はない。

 

にゃけど、「阿」という漢字には意味があって、これは、ものごとが何かに沿ったり、頼ったり、もたれたりして、ぐにゃっと曲がった感じを表すにゃ。

 

なので、日本では「阿る」と書いて「おもねる」と読む。

 

つまり、この「阿」という漢字は、真っすぐでピンと独立した、スジの通った様子を表すのに使うことはできないにゃ。

 

そこでいうと、最近、トラキチがやたらと気になるのが「課金」にゃ。

 

「ゲームに課金する」っていうにゃろ?

 

それ、逆にゃん。

 

キミは、課金するんにゃなく、されてる方にゃんか(笑)

 

なんなら、「課」という漢字の意味は、「わりあてる」だにゃ。

 

とりわけ、義務や負担を複数の対象それぞれに割り当てるという意味で、この文字は使われる。

 

「課税」がそうだよにゃ。国民ひとりひとりに税の負担を「わりあてる」。

 

会社の「課」は、会社から仕事を「わりあてられる」から「課」になるにゃ。

 

でもって、問題の「課金」にゃ。

 

「オレ、ゲームに課金しすぎたよ」って、使用料割り当てられて、払わされてるうちのひとりがそう言ってたらおかしいにゃんか?

 

課役、課題、課徴金、賦課、放課後(授業という義務の割り当てから放たれたあと)―――「課」の付くほかの言葉すべてに反する意味を「課金」だけが持つという、何だかマヌケなことになってしまうにゃ。

 

ちなみに、課金と似てて、もっと歴史の長いのが「募金」だにゃ。

 

「お金」をみんなから「募る」んよ。

 

だから、募金 なんよ。

 

それにゃのに、募金箱に小銭やお札を入れた人の方が、

 

「私、今日、募金してきた」

 

って、話が逆にゃんか。

 

それを正しく言うなら、たとえば「寄付してきました」だよにゃ。

 

こういうのもあるぞ。

 

「昨日、5時にあそこに来店した」

 

いやいや、キミがお客さんなんにゃろ? だったら、そこは「入店」にゃろ。

 

「昨日飲みすぎて撃沈しました」

 

相手を撃(う)って沈(しず)める行為を「撃沈」というんにゃから、沈んだ方のキミを主語にはできないよにゃ?

 

「この政策を評価しますか?」

「はい、評価します」

 

これ、国際的にはマジで危ない使い方にゃ。

 

なんなら、この人「評価します」って言って、要はその政策をホメめてるわけにゃろ?

 

けど、「評」の字って、つくりに「平」の字が入っているように、ものごとの傾斜を表すものではないんよ。

 

対象となるモノ・コトに対して、まだ良し悪しを判断していない、フラットな状態のことを表しているんよ。

 

その点、中国では原義が保たれてるらしいから、

 

「日本の方針を評価する」

 

なんて、向こうの政治家に言われたら、それは賛同でも賛成でもないにゃ。ましてや、褒めてるのでも、嬉しがっているのでもないにゃ。

 

つまり、相手はまだ良し悪しを判断していない。

 

まさに、「評価はこれから決めていきますよ」と、いうことだにゃ。

 

(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)