ちかごろみんな「叱る」と「怒(おこ)る」をごっちゃにしてにゃい?
ていうか、何でもかんでも「怒る」にまとめちゃってる傾向があるよにゃ。これ、よくないことだよにゃ。
にゃんでって?
だって、「叱る」と「怒る」は意味が違うもん。
にゃんとなれば、「叱る」は行為を表す言葉にゃ。相手の間違いを糺し、反省や改善を促す「行為」のことにゃろ?
方や「怒る」は、感情を指していう言葉にゃ。相手が感情を発露させたことを指摘してるんにゃ。「あいつは怒ってる」って。
にゃから、叱られたことを「怒られた」と表現すると、失礼になることも多いんにゃ。
たとえば「先生に怒られた」。よく言うよにゃ。
でも、実際には、その先生は本来言いたくないことをわざわざ口に出して、キミを「叱って」くれたんにゃないのか?
怒ったんにゃなく、叱ったんにゃないのか? 先生は。
にゃのに、それを「怒られた」=「大人げなく先生が感情を見せた」なんて言ったら失礼にゃんか。
つまりそういうことにゃ。
「叱る」と「怒る」は、いつもごっちゃにされつつ、実は大きく意味が違うんにゃ。
もっとも、叱るときに、同時に怒っている人もたしかに多いよにゃ(笑)
ていうか、ほとんどがそうだよにゃ。
昔、プロ野球の監督の星野仙一にゃんが、「私は怒ってるんじゃない。選手を叱ってるんだ」ってテレビで言ってたけど、仙一にゃんは実際にはよく怒ってた(笑)
それでも、仙一にゃんの場合、怒りながらもちゃんと叱ってもいたはずにゃから、そのとき選手が「監督に怒られた」って言ったら、目上の人に対する態度として、それはやっぱし失礼に当たっていたはずにゃ。
何か不満があって、あっち向いたままプンプン膨れてる人を指して、「あの人は叱ってる」っていうか?
言わないよにゃ。「あの人は怒ってる」にゃろ。
つまり「叱る」は相手がいないと成立しない言葉にゃけど、「怒る」はそうにゃない。一人で勝手に「怒っている」がちゃんと成立するんにゃ。
「怒る」という言葉が、行為を指すものでなく、感情の種類を指していうものだということがよくわかるよにゃ。
以上、「叱る」と「怒る」。チャンスがあったらキミも上手に使い分けてみ。これが出来るとかっこいいぞ。
お店に来る上品なお客様は往々にして「お叱り」くださるよにゃ?
けど、わがままなクレーマーは大概烈火のごとく「お怒り」にゃ。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)