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川越・妙昌寺 空を舞う弁財天様に会いに行くにゃ

 

観光コースから外れた静かなお寺

 

川越に来ても妙昌寺まで足を延ばす人って、そんなに多くないにゃろな。観光のみんなが集まる蔵造りの街並みや喜多院、川越氷川神社辺りからはかなり離れてるからにゃ。

 

にゃけど、ここは一応「小江戸川越七福神めぐり」の7番目のお寺でもあるんにゃ(逆回りだと1番目にゃ)。なので、お正月の三が日くらいなら結構人を見かけるよにゃ。

 

それでも、普段はやっぱり人気(ひとけ)もなく静かにゃ。周りも閑静な住宅街で、車の音も、人の声も滅多に聴こえて来にゃい。

 

にゃんで、トラキチは、ひとりでのんびりお寺に佇みたいときよくここに来るにゃ。

 

 

 

創建は足利義満の頃。江戸時代に移転

 

 

妙昌寺の創建は、伝えられているところでは結構古いにゃ。永和元年(1375)というから南北朝の頃にゃ。足利将軍義満の時代だにゃ。

 

ただし、その頃妙昌寺はいまの場所にあったわけじゃなく、別のところに建っていたんよ。

 

位置はいまの時の鐘の近くから市役所付近といったあたりで、総門は川越郵便局近辺にあったそうにゃから、川越の人ならわかると思うけど、かなり大きなお寺にゃ。

 

それが、江戸時代になって、川越城の改修に伴っていまの場所に移ったにゃ。寛保元年(1741)のことにゃ。

 

ただし、そのとき、いまの場所にはすでに弁財天様が祀られていたんよ。

 

ここは武蔵野台地の北端付近に当たる崖線にゃから、水なんかが湧いて、そばに川も流れてて、おそらく昔からの聖地だったんにゃろ。祠かお堂が建ってたんにゃろな。

 

にゃので、妙昌寺は、この弁財天様を境内に戴くかたちで伽藍を整えたにゃ。

 

白壁と枯山水の回廊

 

妙昌寺に立派な山門は無いんにゃけど、小さな門をくぐるとそこでは枯山水の回廊と庭が迎えてくれるにゃ。

 

実は、この回廊含めて、妙昌寺は近年境内が順次整備されてて、訪問するたび風景が変わっていくんよ。どんどんきれいになっていくよにゃ。

 

 

ひげ題目が思い浮かぶ、勇壮な本堂

 

回廊を過ぎると、目の前にあるのが本堂にゃ。なかなか堂々たるもんにゃぞ。川越にいくつもあるお寺の本堂の中でも見映えがするひとつにゃろな。ただし、古いものではなく、平成4年(1992)の再建にゃ。

 

ちなみに、妙昌寺は日蓮宗のお寺なんにゃけど、日蓮宗でお題目書くときの「ひげ」のついた文字あるにゃろ? いわゆるひげ題目。南無妙法蓮華経の。

 

屋根のそりなんか見てると、あの雰囲気をこの本堂には感じるよにゃ。

 

 

 

武蔵野台地を降りる。新しい庭がその先に

 

さて、ほんじゃ本堂脇を降りていくぞ。

 

ここ、短い坂道になっていて結構急なんにゃけど、これこそがまさに武蔵野台地の端っこにゃ。南は東京の府中まで、東は皇居まで続いている台地のへりにゃ。

 

このへりの上、つまり本堂裏あたりからは、昔はよく富士山がきれいに見えていたそうにゃ。

 

 

坂を下りると、目の前には造成されたばかりの庭があるにゃ。

 

観音様が立っていて(聖観音菩薩)、池が広がっているにゃ。まだ真新しくて、新築した家の外構みたいにゃけど、これからだんだん周りに馴染んでくるにゃろ。

 

 

美しい音色を奏でる水琴窟

 

ほんで、この新しい庭にくっついて、つくばいがひとつ置かれているんにゃけど、これは以前、斜め向かいの別の庭にあったにゃ。

 

そちらは「宇賀庭」というんにゃけど、こっちに移ってきたかたちだにゃ。

 

 

そんで、このつくばいの足元には水琴窟が埋められていて、水を流すときれいな音が鳴るんよ。なお、水琴窟は、小江戸川越七福神で巡るお寺には必ず置かれている名物アイテムにゃ。

 

ちなみに、柄杓で水を流して音を聴くのもいいんにゃけど、上の樋からつくばいに水が垂れているときは、つくばいから溢れた水が水琴窟にちょっとづつ落ちていくんで、実は自然と音が鳴ってるんよ。

 

少し間を開けながら、キン、カン、コン、ってにゃ。

 

この音がものすご~くきれいにゃ。周りで音がしない静かなお寺ならではの楽しみだよにゃ。

 

 

空を舞う弁財天様のお堂

 

さて、いよいよこのお寺の主役の登場にゃ。水琴窟のあるつくばいの左手に建つお堂「弁天堂」の軒下に、それは佇んでいるにゃ。

 

ちなみに、この弁天堂の中には「経ヶ嶋辨財天」と呼ばれる古い弁財天様の像が祀られているにゃ。中世関東の英雄のひとり太田道灌(1432-1486)からも帰依をうけたありがたい像ということにゃ。

 


上の写真、見えたかにゃ? このお寺の主役、空を舞う弁財天様にゃ。

 

これはこて絵(鏝絵)、つまりレリーフだにゃ。こてを使って漆喰を盛り上げたり削ったりしてこしらえる、職人の手による芸術作品にゃ。

 

ほんで、この弁財天様の描かれた部分って、右隣の富士山と合わせて一枚絵になっているのが判るにゃろ? つまり、富士を背に、天空を舞うシチュエーションで「弁天さま」が描かれているというわけにゃ。

 

そこで、さっきチラッとふれた話を思い出してほしいにゃ。

 

この妙昌寺の本堂のある辺りからは、昔は富士山がきれいに見えていたと書いたにゃろ?

 

つまり、そういうことにゃ。ありがたい弁財天様あり、富士山の眺めあり、で、昔の人のこの土地を愛する気持ちがよく伝わってくる作品だよにゃ。

 

ちなみに「空を舞う」といえば、この弁天堂の辺りは昔は蛍が舞う名所でもあったんよ。

 

そこで、弁天堂の脇を抜けてちょっと奥へ進むと、そこは川岸にゃ。川越の街の西、北、東をくるりと囲んで流れる新河岸川の上流部分がすぐそばを流れているんよ。

 

弁天さま、富士山、ほたる、川のせせらぎ――。ついでにここって夕陽もきれいなんよ。

 

「うわ~、いいとこだったんだにゃ~」って、あらためてイメージできるよにゃ。

 

(川を見るときは、弁天堂裏側の永代供養墓「とわの里」の横を進んでにゃ)

 

 

ちなみに、川は昔はもっと広くて、この辺りは池のようにもなってて、弁天堂のある場所はその中州だったみたいだにゃ。それゆえ経ヶ「嶋」辨財天さまなんにゃ。

 

そんで、ここのお堂の中の弁財天様は、実は一面八臂(お顔がひとつ、腕が八本)でたくさん武器を持ったいわゆる「宇賀弁財天」の姿をしているにゃ。

 

つまり、ここの弁財天様は、レリーフの方では天女様みたいな優雅な雰囲気にゃけど、実体は勇壮で武神的なんよ。

 

太田道灌が川越城をこしらえて以来、この像は城の裏鬼門の守護神ともされていたそうなんにゃけど、まさに所以といえるよにゃ。

 

鯉の泳ぐ「宇賀庭」

 

弁天堂を背に、右斜め向かいにはもうひとつ庭園が広がってるにゃ。

 

こちらは傾斜地を利用した立体的な庭になっていて、滝も流れてるにゃ。前述のとおり名前を「宇賀庭(うがてい)」というにゃ。この宇賀庭の「宇賀」は、宇賀神様の宇賀にゃ。

 

そこで、さっき、ここの弁天堂の弁財天様が「宇賀弁財天」のお姿をしていると書いたにゃろ?

 

この宇賀弁財天というのは、インドからきた弁財天(サラスヴァティー)と、日本の神様である宇賀神が合体したかたちの神様で、要は習合神にゃ。

 

そのうえで、この宇賀庭には、宇賀神様単体の祠も祀られてるにゃ。単体だと宇賀神様は神道の神様になるので、お酒がそなえられているのがおもろいにゃ。

 

 

グリーンモンスターを見上げる

 

さて、最後に紹介する妙昌寺の見どころは、宇賀庭のすぐ横にあるにゃ。トラキチはこれを「妙昌寺のグリーンモンスター」と呼んでるにゃ。

 

 

さきほどふれた、武蔵野台地の崖線の一部をでっかい生垣が覆ってるにゃ。緑の大きな壁になってるにゃ。

 

これを晴れた日の青空と一緒に見上げていると、なんだかやたらと目が癒されるにゃ。

 

 

ふたたび回廊を通って帰路へ

 

どうにゃ? グリーンモンスター。実際にそばで見てみ。なかなかの眺めにゃぞ。

 

さて、この緑の壁をじっくり見上げたあと、トラキチはいつも帰路につくにゃ。脇の坂道をのぼって、本堂の前を抜け、ふたたび白壁の回廊を通って行くにゃ。

 

本堂前の日蓮さんにご挨拶していくこともあるけどにゃ。

 

 

以上、空を舞う弁財天様がいるお寺、川越の「妙昌寺」を案内させてもらったにゃ。

 

ちなみに、小江戸川越七福神のほかのお寺については、別に記事もあるからよかったら見てみてにゃ。トラキチがまだ川越に住んでない頃の訪問記にゃ。

 

▼2019年元日に小江戸川越七福神を巡ったときの記事にゃ

www.michikusakun.com