蓮馨寺は川越の街の真ん中にあるにゃ
蓮馨寺(れんけいじ)は川越の街の中心部に建つお寺にゃ。蔵造りの町並みで有名な一番街の少し南側にあるにゃ。西武鉄道の本川越駅からも近くて、北に5~600mくらいかにゃ。孤峯山宝池院蓮馨寺。浄土宗のお寺にゃ。
休みの日なんかには観光の人もたくさん来るけど、普段は地元の人のオアシスにゃ。散歩の途中で立ち寄る人が多いにゃ。境内の景色がいい具合にきれいで、かといって堅苦しい雰囲気もないにゃ。ホントに居心地のいいお寺にゃぞ。川越に住んでいるトラキチも、定番の散歩コースにしているにゃ。
- 蓮馨寺は川越の街の真ん中にあるにゃ
- 「蓮馨」は尼さんの名前
- 呑龍上人と呑龍デー
- 蓮馨寺のアイドル「おびんずる様」
- 川越七福神「福禄寿」さまも鎮座
- 香ばしいかおりを放つ「川越だんご」
- 水琴窟と苔の庭
- 川越で一番響きがよい(?)梵鐘
- 「将監地蔵尊」と「林崎甚助鎮魂碑」
- 周囲の街も賑やかな蓮馨寺
「蓮馨」は尼さんの名前
蓮馨寺は戦国時代からの歴史を持つお寺にゃ。河越城主大道寺政繁といえば、後北条氏の重臣だった人にゃ。この人のお母さんが蓮馨尼さんにゃ。その蓮馨尼さんが亡くなって、追善供養のために政繁が建立したといわれているのが蓮馨寺にゃ。
にゃので、開基は政繁にゃんになりそうなところ、名義上蓮馨尼さん。その甥っ子とされているお坊さんの感誉存貞が開山第一世になったにゃ。天文18年(1549)のことにゃ。
ちなみに、存貞にゃんはそれ以前から蓮馨尼に呼ばれて川越に来てたんにゃけど、浄土宗ではかなり有名なお坊さんにゃ。なので、蓮馨寺にはこの人を慕ってたくさんのお弟子さんが集まることになったんよ。これがのちに学問寺院(浄土宗関東十八檀林のひとつ)として名を馳せることになる蓮馨寺の始まりにゃ。
そんなわけで、蓮馨さんという女性の名前をもらっているせいか、トラキチは蓮馨寺の境内にいると、尼寺みたいな優しげな雰囲気をいつも感じるんよ。もちろん、気のせいにゃけどな(笑)
呑龍上人と呑龍デー
蓮馨寺といえば、地元では「呑龍さま」の呼び名でも親しまれてるにゃ。呑龍にゃんは江戸時代の始まる前後頃に活躍したお坊さんで、子育て吞龍なんて呼ばれている人なんよ。捨て子をひろったり、貧しい家の子を預かったり、子どもの福祉に努めた人にゃ。
ちなみに、群馬県に「上毛かるた」ってあるにゃろ? それの「お」の札で「太田金山子育吞龍(おおたかなやまこそだてどんりゅう)」と詠まれてるのがこの人にゃ。群馬では有名な偉人のひとりだよにゃ。
その呑龍さんを蓮馨寺では縁あって明治に入ってから祀るようになったんにゃけど、いまでは毎月縁日の「呑龍デー」が開かれていて、お寺の代名詞にもなってるにゃ。下の8枚の写真は2022年5月8日の呑龍デーの様子にゃ。フリーマーケットが出たり、演芸会があったり、一日中楽しい日にゃぞ。
どうにゃ。楽しそうにゃろ? 呑龍デーは毎月8日の開催にゃ。
蓮馨寺のアイドル「おびんずる様」
蓮馨寺の門をくぐると、正面に見えるのが本堂祈願所の呑龍堂にゃ。そんで、その向かって右側に座ってる赤いおっさんが「おびんずる様」にゃ。賓頭盧跋羅堕闍(ピンドーラ・バーラドヴァージャ)尊者だにゃ。お釈迦様のお弟子さんのひとりとされているんにゃけど、神通力を他人に見せてお師匠さん(お釈迦様)に叱られたっていうおもろい話で知られている人にゃ。
このおびんずる(おびんづる)さんが、日本では「なで仏」として親しまれるようになったにゃ。奈良の東大寺の大仏殿の前にも座ってるにゃろ? どこか身体に病気や故障を抱えている人が、おびんずるさんの体の同じ個所をなでると治るといわれてるんよ。蓮馨寺のおびんずるさんも大人気で、毎日みんなが撫でるからあちこちツルツルのピカピカにゃ。
川越七福神「福禄寿」さまも鎮座
おびんずるさんの向かってすぐ右隣りには、福禄寿さまが祀られているにゃ。この福禄寿さんは川越七福神の第五番・人望をつかさどる神様ということになってるにゃ。もともとは中国の道教の神様にゃ。人望だけにゃなく「福・禄・寿」で、幸福と財産と長寿も授けてくださるにゃ。
まず、本堂・呑龍堂にお参りしたあと、右に進んでおびんずるさんをなでて、次に福禄寿さんを拝むのが、蓮馨寺参りの定番コースだにゃ。
香ばしいかおりを放つ「川越だんご」
さて、福禄寿さんを拝んだあとは、さらに本堂前を右手に進むにゃ。すると、その先にお店があるのが見えるにゃ。松山商店にゃ。蓮馨寺名物のお団子を焼いてるにゃ。近づくと醤油の香ばしいかおりがしてくるにゃ。
ところで、川越のお団子って甘くないんよ。もちろん、甘いのをメニューに用意しているお店もあるけれど、メインはシンプルな醤油だんごにゃ。火で炙ってあるにゃ。
この団子は、軽く焦げた醤油の味で、米粉の風味を楽しむものなんよ。ただし、まったく甘くないかといえばそうでもないにゃ。醤油が本来もつ甘みもかすかに感じられるんよ。これがまた旨いんにゃ。1本90円にゃ。
水琴窟と苔の庭
ちなみに、川越七福神を祀っているお寺には、セットで水琴窟のついたつくばいが置かれているにゃ。蓮馨寺にももちろんあるにゃ。場所は若干わかりにくいんにゃけど、本堂に向かって右側にゃ。木がまばらに立ち並ぶ庭の奥にあるにゃ。
そんで、この庭というのが、結構面白いんよ。普段は何の変哲もない土の地面にしか見えないんにゃけど、梅雨の時期を迎えると一面コケの絨毯になるんにゃ。もちろん、いつもみんなが歩いているところが勝手に苔庭になるということで、素朴感にあふれてはいるんにゃけど、なかなかキレイにゃぞ~。トラキチはこの時期の蓮馨寺が一番好きにゃ。
川越で一番響きがよい(?)梵鐘
本堂の斜め向かい、駐車場に面して鐘楼が建ってるにゃ。結構大きな鐘が下がっているんにゃけど、トラキチは、これまで聴いたことがある川越のお寺の鐘の音のうちで、この鐘の音が一番気に入っているんよ。重厚すぎず、軽すぎず、とてもいい響きにゃ。
ちなみに、この鐘は除夜の鐘つきの際には誰でも鳴らせるにゃ。ただし、蓮馨寺は街の真ん中にあるお寺なので、大晦日の夜は人がどっさり押し寄せるにゃ。にゃので、一人で突くことは出来ないにゃ。家族や見知らぬ人同士5~6人くらいで一緒に突くことになるんにゃけど、それも何かの縁かもにゃ。
「将監地蔵尊」と「林崎甚助鎮魂碑」
蓮馨寺本堂に向かって左手、目立たない場所なんにゃけど、そこにお地蔵様が立ってるにゃ。そんで、その隣には比較的新しい大きな石碑もあるにゃ。
お地蔵さんの方は将監(しょうげん)地蔵と呼ばれているにゃ。遊佐将監という人の建立と伝えられているにゃ。将監は、江戸幕府老中や川越城主をつとめた松平信綱の家来だった人にゃ。昔は毎月3日・13日・23日にこのお地蔵様の縁日があって、とても賑わったそうにゃ。
ところで、松平信綱といえば、あの天草・島原の乱(1637〜1638)を鎮圧した人にゃ。将監地蔵は、乱の犠牲者の鎮魂のためのものであるという説もあるそうにゃ。
将監地蔵さんのお隣に立つ石碑が、林崎甚助重信にゃんの鎮魂碑にゃ。居合(抜刀術)の始祖とか、中興の祖とかいわれる人で、その道ではものすごく有名にゃ。戦国時代生まれで(1540年代)、江戸初期の頃まで活躍してたみたいだにゃ。
謎の多い人にゃけど、この川越の蓮馨寺が終焉の地ではないかともいわれていて、その縁で石碑が立ってるそうにゃ。
周囲の街も賑やかな蓮馨寺
以上、川越の街の真ん中に建つお寺、蓮馨寺を紹介したにゃ。ちなみに、蓮馨寺は周りに広がる街も賑やかで楽しいんよ。さっと紹介しとくにゃ。
昭和の街・中央通り
まず、門前を横切る南北の通り、こちらは「昭和の街」とも呼ばれる中央通りにゃ。昭和っぽさ一杯の雰囲気の中に、個性的な飲食店がたくさん軒を連ねてるにゃ。シャッター降りっぱなしの建物までが、なぜか絵になってるという面白い通りにゃ。
門前町・立門前通り
次に、蓮馨寺門前からまっすぐ東に伸びるのが、「立門前(たつもんぜん)通り」にゃ。こちらも昭和の商店街の雰囲気がよく残る通りにゃ。古い劇場・映画館だった旧鶴川座が、2020年にホテルになったにゃ。
大正浪漫夢通り
立門前通りの先を横切る南北の通りが、古くはアーケード付きの「銀座商店街」だった「大正浪漫夢通り」だにゃ。蔵造りの商家や近代商店建築が交じり合っていて、たしかに大正〜戦前の雰囲気かにゃ。休日は観光の人が大勢訪れるにゃ。
川越市民のオアシス・蓮馨寺 にぜひ来てみてにゃ!