桜がほころび始めた頃。やわらかな日差しの中、いわきの白水阿弥陀堂を訪れた。
やや南に「勿来の関」があったこの辺り。みちのくの南端。古代から中世にかけては、奥州と関東、ふたつの広大な世界が接する境界だった。
そんな土地に暮らす豪族のもとへ、はるか北の地からひとりの姫が嫁いできたという。
彼女は奥州平泉からやってきた。名は徳姫。
その父は――奥州の王といっていい。藤原氏三代の初代清衡(きよひら)。平泉という、華麗なみちのくのみやこを築いた人物である。
阿弥陀堂を訪れたこの日、境内にはまるで人影がなかった。
時折ひびく鳥の声と、うららかな春の光ばかりが、緑の谷戸に満ちあふれていた。
阿弥陀堂は、丹塗りの橋の向こうにあった。淡く、蜃気楼のように佇んでいた。
薄暗い堂内に足を踏み入れた。
ここも無人…と思っていると、驚いた。人がいた。若い僧侶である。
僧侶は、本尊と脇待を載せる台座の脇で、壁を背にして、静かに座している。
話しかけてみた。
「古いお寺ときいていますが、見るといまは真言系のようですね」
「そうです。智山派です」
「この建物は建立当時のままですか」
「そのようです。しかしながら、内部の装飾がほとんど剥落しています。建立当時は極彩色の壁絵で飾られていました。いまは…ご覧になれますか? この辺り、内陣天井などにわずかにそのあとが残る程度です」(と、僧は懐中電灯でその部分を照らしてくれた)
「極彩色が施されていた、とはいえ、昔は電灯が無かったわけですから、光は僅かな外光か灯明のみということになりますね。堂内はどんな景色だったんでしょうか」
「ちょっと想像がつきません。ちなみに、今でさえこの堂内を灯明で照らすということは滅多に出来ないんです」
「それはどうしてですか」
「この建物は国宝の指定を受けていますから」
「許可が要るわけか」
「そうです。手続きを踏んで国の許しを得ないと、中でロウソクに火を点すことはできません」
「本尊の阿弥陀如来は定朝様式ですね。とても洗練されています。ここより北では多分これほどのものは見られないのではないでしょうか」
「そうかもしれません」
「京(みやこ)の仏師の製作であるような気がしますが、仏師はここまでやってきたんだろうか。それともこの本尊は京から運ばれて来たんだろうか…」
「運んできたのかもしれません。建物をこしらえた工人は、あるいははるばる下向してきたのかもしれません。ただ、どちらにしても、発注する側によほどの財力がなければ、そうした贅沢は当時出来なかったと思います」
「ところで、あなたはどこかのお寺の跡継ぎをされる人?」
「はい。ここを継ぎます。ここの息子です」
――そんな会話をした。
建物を辞した。
外界は相変わらず、春の日差しに包まれている。
阿弥陀堂は周囲を池に囲まれている。池の岸辺には亀が数匹いて、もたれ合いつつ、重なり合いつつ、甲羅干ししていた。
言い伝えによれば、藤原清衡の娘徳姫は、夫岩城則道を失ったのち、その菩提を弔うためこの地に寺を建てたという。
その名を「願成寺」とし、自らは剃髪した。加えて、寺域の一角を選び、この可憐な阿弥陀堂を建立したとされる。
土地の名を「白水(しらみず)」という。姫の故郷である「平泉」のうち、「泉」の字を上下に別けたものだともいう。
(上記は初出2009年。内容は当時の訪問に基づくものにゃ。トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)