タイの首都、バンコク。
しかし、その呼び名は主に外国人が使う。
現地では、この都を「バンコク」とは言わない。そのことは、メディアの紹介もあって最近はよく知られている。
バンコクの本当の名は―――、とても長い。
クルンテープ・マハーナコーン―――云々、云々と、延々続く正式名は、とてもではないが一度に覚え切れるものではない。
その「云々、云々」の中に、まことに象徴的なくだりがある。
「帝釈天が建築神をして造らせたるまち」
すなわち、現在、成長著しい東南アジアの中心を成すこの繁華な街は、帝釈天の設計もしくはプロデュースによるものとここでは語られている。
「帝釈天」―――インド生まれの神となる。
なお、この神は、われわれ日本人にとってもまことに親しみ深い。
たとえば、映画「男はつらいよ」で、主人公の車寅次郎は、
「帝釈天で産湯をつかい」
と、仁義をきりつつ、風に吹かれるままに渡世する。
その寅次郎が語る帝釈天とは、東京の柴又にある題経寺というお寺のことをいい、この寺の祀るご本尊こそが、件の帝釈天となる。
帝釈天、どんな神様なのか。
古代インドの神で、その信仰の始まりはおそろしく古い。
本来の呼び名は「インドラ」という。天を支配し、地を撃つ「雷」の神である。
太古、インドにアーリア民族とよばれる一団が侵入し、のちに文明をひらいた。
インドラは、彼らが奉じていたバラモン教において、人びとからもっとも大きな尊敬を受ける神だった。
このインドラ神が、のちに仏教に取り込まれると、釈迦に帰依する「護法神」のひとつとなる。
のちに、日本にはこの護法神として帝釈天が伝わったが、タイの場合は少し様子が違っている。
タイには、護法神になる前のインドラが伝わっているのだ。
東南アジアにインド文明が最初に及んだとされる2世紀頃より引き継いだ古い信仰として、他のバラモン教の神々とともに、タイではインドラの存在が脈々と息づいている。
一方、ふるさとであるインドにおいては、インドラはその後すっかり人気を失った。いまでは、人びとの記憶からほぼ消え去っているという。
さて、現在バンコクには、この国の国王が司る王宮がある。
王は、仏教を奉ずるため、隣接して王宮寺院が建てられている。
しかしながら、見るがいい。この王宮寺院「ワット・プラ・ケオ」に屹立する三つのするどい塔を。
塔は仏塔であり、あくまで仏寺における象徴的建造物だが、はるかな天空を突き、刺し通すかのようなその姿は、どこか天地をむすぶアンテナのようである。
雨季の午後。
分厚い雲がタイ湾を北上し、バンコクの空を暗く覆い始める。
やがて、雷光が空を照らすと、雷鳴が轟き、大地を揺らす。
天と地の交信である。
そして、それを媒介するかのような三本の塔。
眺めていると、この街が、雷の神・帝釈天の都であることをにわかに思い起こさずにはいられない。
タイ王宮。こちらにもインドラ神との通信アンテナが?
タイ王宮寺院の仏塔「プラ・スワンナ・チェディ」
(上記は初出2009年。情報は当時のものにゃ! トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)