明治維新後、それまでのいわゆる鎖国をやめ、海外諸国と広くつきあうこととなった日本。
社会のさまざまな人びと、集団、階層、いずれも問わず、海外からもたらされる新しい情報に驚いた。
仏教界も例外ではない。大いに驚いた。
ただし、彼らの驚きは、ほかとはちょっと違う。
彼らは、純・外来たるキリスト教やイスラム教の教えに驚いたわけではない。
自らがよく知る仏教について、驚きに見舞われた。
もっとも、そのことを噂には聞いていた。しかも、昨日今日聞いた噂ではない。
おそらくは、はるか6世紀、仏教伝来以来のウワサである。
内容はこうだ。
遠い異国の仏教徒には、「小乗」と呼ばれる教えを信じる人々がいる。
小乗とは、小さな乗り物。
小さな乗り物が多くの人を乗せて運ばないように、小乗を奉ずる人びとは、己が悟ることばかりに熱心で、他人や社会を救済しようとしない。彼らは、釈迦の教えを誤って理解している困った連中だ。
しかし、幸いにして、日本はこの間違った教えを伝えられずに済んだ。小乗ではなく、大乗仏教が伝わった。
だが、気の毒なことに、国によっては、小乗に大いに毒されてしまったところもあるらしい。そこでは人びとは仏の救いを得られず、皆、苦しんでいるようだ。
日本はそうならずに、よかった。よかった。
ところが―――、である。
そんな小乗仏教をヨーロッパが先に研究していた。
それが、文明開化の日本に伝わったとき、日本仏教は動揺した。
なぜなら、それらの研究によれば、古来評判の悪かったこの「小乗」こそが、どうも
釈迦本来の教えにより近いらしいのだ。
「さては、われわれは異端の方を学んでいたか…」
驚いたうちのある者は、「小乗を学ぶ」として、ヨーロッパや南アジアに旅立った。
また、ある者は、「われらが学んできた大乗仏教伝来の道筋を辿ってみる」として、砂塵舞う中央アジアへの旅に出た。
結果、
「どうやら、小乗も大乗も、先人が一生懸命に釈迦の教えを理解しようと努め、思索を編み上げたもののようだ。どちらも仏教に変わりない」
答えは、そんなところに落ち着いた。
さて、タイは、そんな小乗仏教がもっともさかんな国のひとつである。
首都バンコクは、まるでわが京都のように、街中が大寺小寺で埋めつくされている。
日本の寺との大きな違いは、仏像はお釈迦様だけであって、それ以外の如来や菩薩がいないことだ。
それが寂しければ、人びとは自らが修行することで菩薩になり、悟りをひらいて如来―――仏になればいいというのが、彼ら小乗のスタイルだ。
もうひとつ、違いをいえば、日本の仏像の多くは笑っていないが、タイのそれらは皆笑っている。
この国の街を行く人びとの微笑みと同様に、優しく笑っている。
(「小乗」の表現は、「大乗」側から見た侮蔑的なものとされており、上記での使用はあくまで文脈上のもの。通常は「上座部仏教」「南伝仏教」などと記述する)
(写真は、バンコクを代表する大寺院のひとつ、ワット・スタットの回廊。タイ現王朝の初代、ラーマ一世王の発願により、19世紀初めから中盤にかけ、30年ほどをかけ建立された)
(上記は初出2009年。情報は当時のものにゃ! トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)