昔からトラキチが疑問に思っていることのひとつにゃ。
スポーツ選手=アスリートって、なぜか 叩かれ やすいにゃろ? なんでにゃろ?
その答えをひとつ考えたので、いまから話していくことにするにゃ。
ちなみに、アスリートが大活躍してるときは違うぞ。彼らは 憧 れられるし、もてはやされる よにゃ?
これから活躍しそうなときも違うぞ。
甲子園でスターになった高校球児がプロ入りするときなんか、世間の期待がものすごく好意的にその子に集まるよにゃ? まだプロで全然実績挙げてなくても。
でも、いざ調子悪くなったり、失敗したり、みんなの期待を裏切ったり、私生活で問題を起こしたり、SNSで変な発言しちゃったり…
そんな時のアスリートの叩かれ方って、大抵、ほかの有名人に輪をかけて 辛辣 にゃ。
しかも、いまはまだマシなくらいで、昭和の頃の野球場のヤジとか、ホントすごかったぞ。活躍できない選手に対する昔の子どもたちのなじり方なんかも、もう、残酷 そのものにゃ。
さて、そんでもって、その理由にゃ。
トラキチが思うに、やっぱしわれわれって、本能的に肉体的なパワーが優れている人を怖れているんにゃないにゃろうか?
つまり、原始の頃にゃ。われわれがまだサルだった時代。サルに近かったような時代。
群れの中に肉体的なパワーに優れた個体がいれば、当然周りは 怖い にゃんか。そいつのことが。
つまり、サルに限らず、いろんな動物がそうにゃけど、体がデカくて強いヤツは、仲間内ではつねに怖がられるし、キケンな存在にゃ。
そこで思うんよ。トラキチは。
そんな、古~い時代からの遺伝的恐怖が、われわれの中にいまもちゃんと息づいてて、アスリートを見るとき、われわれはいちいちそれを呼び覚まされているんにゃなかろうか?
弱い者は、恐怖を覚える強い相手に対して、攻撃されないようにとりあえず逃げるよにゃ? 基本。
でも、逃げられないとしたらどうなるにゃろ? 同じ群れ= 社会 の中から逃げられないとしたら。
気に入って もらうしかないよにゃ? その強い相手に。
だとすると、活躍しているアスリートへ贈られるものすごい賞賛って、もしかしてこれなんにゃなかろうか?
よくある国民的な大喝采って、これなんにゃない?
そう、トラキチは思った――ということにゃ。
つまり、われわれはおべっかつかってるんにゃ。その人に。気に入られたくて(笑)
強いヤツを褒めて、気に入られることで、自己の 安全 を保ちたい。それが、実はわれわれのアスリートに対する隠れた衝動なんにゃないか? ということにゃ。
ほんで、逆にそんな相手がなんかのきっかけで弱くなれば、それって、それこそ日頃からの恐怖を無くせるチャンスにゃろ?
すると、われわれは多分、徹底的にそいつを潰したくなるんよ。プールに落ちた犬を棒で突くみたいに。
つまり、それがわれわれがアスリートを辛辣に叩く理由の 正体 にゃ。
と、トラキチは考えてみた。さて、どんなもんにゃろ?
活躍できなくて叩かれ続けたアスリートが、いざ引退すると、手のひらがえしに世の中から優しくされることもあるにゃんか。
恐怖の対象を 潰し 終えた――
われわれはそこでやっと安心しているのかもしれないにゃ。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)