毎年暑さの盛りにやってくる立秋。
「暑中見舞い」と「残暑見舞い」の分かれ目です。
僕はよく、はがきで暑中見舞いや残暑見舞いを出します。
誰に出すのか?
1.年賀状をくださったけれど、こちらからは送っていない人
2.前年に喪中はがきをくださった人
3.その年の前半にお世話になった人
などなど。
ちなみに、暑中・残暑見舞いよりも早く、4月の桜の時期に、きれいな桜の絵なんかが入ったはがきを買ってきて送ることもあります。
あるいは、それよりもさらに早く、寒中見舞いを送ることもあります。
つまり、何の話?
僕は年賀状だけにこだわるのをやめたのです。
5~6年くらい前からかな。
年賀状も含め、
寒中見舞い、桜の時期のはがき、暑中見舞い、残暑見舞い、さらには秋の紅葉の時期のご挨拶・・・
相手おひとりにつき、1年を通して、概ね1、2回づつ、時期を分散してご挨拶はがきを送っています。
そんな、ゆるゆるな感じで、このタスク(?)を処理しています。
なぜって・・・
年賀状を用意しなければならない時期って、毎年あまりにも忙しい時期でありすぎませんか?
特に、年明けの確定申告を控えている立場になると、12月に仕事がかさむことって、はなはだ深刻なんです。
そこに加えて、
「年賀状を元日に到着させるには何日までに投函しないといけない」
とか、
「ありゃ、年賀状用意したのに喪中はがきがきちゃった!」とか、
とにかく、てんやわんやになりがちです。
いきおい、
表裏全部が機械印刷の、手書きの言葉のひとことも添えられてない、ひたすら殺伐とした紙切れを結構な金額をかけて送る羽目に陥らされます。
そんな苦行が、ある頃からすっかり嫌になりました。
そこで、いまは上記のようにやっています。
時間に余裕が持てるので、宛名もちゃんと手書き、中身も手書きの丁寧なご挨拶を差し上げることができます。
対して、相手からはほとんど返事が戻ってはきません。
代わりに、大抵は年賀状が来ますね。
つまり、早期の返報を焦らせるような雰囲気も(年賀状にはそれがありますね)、僕のやり方だと、おそらく相手は感じないということなんじゃないでしょうか。
もちろん、受け取る人の中には違和感を抱く人もいるでしょう。
「年賀状でなければ、礼儀は感じられない!」とか。
いないかな?
いや、いるとも想定しています。
なにしろ、文化と習慣って、重いですからね。
時代がどれだけ過ぎても甲子園球児が坊主頭でなければいけないように。
意味は無くとも重いもの。それが文化なんだろうと思います。
それでも、
僕は12月の多忙の中での年賀状準備は、よほどの余裕がなければこれを行いません。
そんな人間を礼儀知らずと見るべきなのか、
否、手書きの暑中見舞いこそ「愛」なのか・・・?
そんな葛藤は、ちょっと気の毒ではあるんですが、受け取った相手にお任せしちゃいます。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)