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根拠のない自信こそが、実は最強の自信なんにゃろな

 

人生、自信って大事だよにゃ。

 

そんでもって、どんな自信を持てるかによって、人の一生って随分変わってくるにゃ。

 

そんな「自信」をこの記事では仕分けしてみるにゃ。

 

ついでに、ランク付けもしていこうかにゃ(笑)

 

あくまでトラキチが個人的に思うランキングにゃから、気分が悪くなっても怒らないでにゃ。

 

人間の「自信」ランキング

 

1位 未来への自信

 

言い換えれば「将来への自信」「明日への自信」にゃ。あしたの自分はいまの自分よりもきっと優れている。強くなっている。そう思える自信のことにゃ。これがあれば今日の敗北も、挫折も、失敗も、てんでメじゃないよにゃ。子どもがこれを身につけてると、親はものすご~く安心にゃ。

 

2位 現在への自信

 

言い換えれば「今日に対する自信」「いまへの自信」にゃ。今日という日を自分はしっかり生きた、生きている。やりきった、なんて実感から湧いてくるものにゃ。これを重ねていくのが、いわゆる「修行」だよにゃ。有名な海軍五省なんて、あきらかにこのためのツールになっている。1位の「未来への自信」を生み出すための必須の土台でもあるよにゃ。

 

3位 過去への自信

 

言い換えれば「過去の実績への自信」にゃ。過去に自分が自分の力で勝ち取ったものに対する自信にゃ。

 

ところで、この過去への自信こそ、人間が求めるべき一番の自信にゃと思っている人いない? たとえば「オレはどこどこの学校を出た」とか、「どこどこの会社で出世した」とか、「何々の大会で優勝した」とか。

 

にゃけど、それって申し訳ないけど「未来への自信」や「現在への自信」に比べてランクが落ちるにゃ。

 

なんでって? 思い浮かべてみ、過去への自信だけ持ってて、現在への自信も、未来への自信もない人のこと。それって、大概役立たずの評論家にゃん。

 

つまり、過去への自信は、それだけでは酒やドラッグにも等しい刹那で頼りない効き目しかないものにゃ。

 

なので、これから何かデカいことを成し遂げるような人は、過去の実績なんてあくまで思い出にゃ。普段は忘れてるにゃ。

 

でもって、それ以上に大きな「現在への自信」と「未来への自信」をしっかりと胸に抱いて、いつも前を向いてるにゃ。

 

4位 与えられた「資質」への自信

 

ズバリ、容姿や、生まれ持っての才能への自信がこれにゃ。自分が努力して勝ち取ったものではない、いわゆる「親からもらったもの」への自信にゃ。

 

この自信は危ういにゃ。どう危ういのかって、3位の「過去への自信」とも共通するんにゃけど、他者との比較が容易にできてしまうんよ。

 

自分よりももっと優れた資質や実績をもったライバルが出現すると、あっというまに自信が保てなくなるにゃ。つまり脆いんよ。壊れやすいんにゃ。

 

でもって、そんな脆い自信を「壊されたくない」と思うと、今度はそれが他者への攻撃を生んでしまいがちになるんにゃ。真っ当な競争ではなく、憎しみからの攻撃にゃ。

 

なので、カワイイとか、イケメンだとか、生まれながら足が速いとか、勉強しなくても秀才だとか、そんな親や天から与えられた資質に対しては、われわれは自信を持つべきではにゃい。感謝することが肝心にゃ。

 

ヘタに「自信」にするとまずいぞ~。諸刃の剣になって自分が傷ついたり、それが落とし穴になって落っこちたり、とんだ人生の足かせになりやすいにゃ。

 

5位 与えられた「環境」への自信

 

絶対に持ってはいけない自信がこれにゃ。たとえば、家柄や親・親族の地位、性別、出身地、人種、生まれた国への自信なんてものがそうにゃ。

 

「男であることしか自信を持てるものがない」「自分が〇〇国人であることにしか自信を持てない」――その結果って、わかるよにゃ? 性差別や人種差別の元凶がまさにこれにゃ。

 

「父親の地位しかすがるものがない」――見てて哀れにゃん。

 

与えられた環境への自信は、さっきの与えられた資質への自信同様に、人間が持つべきではないものにゃ。

 

なので、繰り返すけど、それは自信ではなく感謝の対象にゃ。間違って自信にした瞬間から、ただの「依存」になり果てるにゃ。

 

最強の自信はこれ? 「根拠のない自信」

 

さてさて。

 

以上、トラキチが思う人間が持つべき「自信」のランキングを挙げてみたけれど、実はさらにこの上があるんにゃなかろうか? って、トラキチはそう考えてもいるにゃ。

 

その自信とは「根拠のない自信」にゃ。

 

「理由はわからないが、とにかくオレは(私は)やれる」

「こうなれる」

 

っていう自信のことにゃ。

 

これ、最強にゃん(笑)

 

何にだって挑戦できるよにゃ。

 

とはいえ、「それって未来への自信と意味が同じじゃない?」――そんな疑問の湧く人もいるにゃろな。

 

でも、ちょっと違うんよ。

 

「未来への自信」を持つ素晴らしい人でも、「過去の自分についてはとても自慢できない。恥ずかしい」って思ってる人、いるにゃろ?

 

もちろん、それはそれで問題ないんにゃけど、障害にぶち当たったときの思わぬ火種になる可能性はあるよにゃ。さっき書いたとおり、普段はすっかりそのことを忘れていたとしてもにゃ。

 

一方、根拠のない自信を持ってる人の場合、そこが違ってるんよ。過去に対しても、やっぱし根拠なく(笑)自信を持ってるんよ。

 

たとえ、実際にはカッコ悪い過去を歩んで来てても、「オレって(私って)なかなかいい人生掴んでるぞ」って。

 

あるいは「オレの(私の)人生ツキだらけ」「生きて来れただけで丸儲け」って。

 

つまり、おめでたいといえばおめでたいけど、神々しいといえばやたらと神々しいのが、この「根拠のない自信」を持ってる人にゃ。

 

あ、そこで、キミいま思ったにゃろ?

 

「つまりそれってバカの自信か?」って。

 

にゃはは。コメントは避けとくにゃ。

 

誰もが経験している「根拠のない自信」

 

ちなみに、この最強の自信――根拠のない自信って、実は誰もが昔経験していることでもあるんよ。

 

それはいつか?

 

生まれた時にゃ。そして、物心つかない赤ん坊の時にゃ。

 

生まれてくる時、われわれって、おそらく人生について100%の自信をもって、この世に這い出て来るんよにゃ。

 

「オレは(私は)100% 親やみんなに愛される」

「100% 守ってもらえる」

 

って。

 

にゃので、そのときわれわれは、100%のワガママを発揮して泣き叫ぶにゃろ?

 

「さあ、生まれたぞ。オレを(私を)愛せ~!」

「守れ~!」

 

って。

 

これ、あきらかに 根拠のない自信 にゃ(笑)

 

赤ん坊が、ママの胸にすがるにゃろ?

 

そのとき赤ん坊は、「ママは必ず100%自分を優しく抱き上げて、たっぷりオッパイ飲ませてくれる」と、思ってる。

 

ほかはまったく想像していにゃい。

 

これ、0.0000…1%の疑いも混じらない、マジで100%根拠のない自信にゃ。

 

過去も、現在も、未来も関係ない、ひたすら完全なる全宇宙的自信というほかないにゃろな。

 

そんなわけで、最強の自信は「根拠のない自信」。

 

こんなところで話をシメることにするにゃ。

 

(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)