2006年に封切られた映画、東宝「県庁の星」。「エリート」と、自他ともに認める地方公務員が、慣れぬ民間企業でとまどいながらも奮闘するストーリー。そのロケ地のひとつが、茨城県庁舎だった。茨城県水戸市の郊外、関東平野を南に見下ろしながら屹立する。
高さ116メートルは、東京などに持ってくればさほど目立つものではない。だが、ここ水戸市南郊となると話が違う。周囲にはほかに高層建築など見当たらない。北関東の青い空を四角く切り取りながら、建物は、惚れ惚れするほどの威容を辺りに見せつけている。
敷地面積は15ヘクタール。プロ野球の球場が軽く3つ収まってしまう広さとなる。本丸である県庁舎の西にはこれも威風堂々の県警本部がそびえ、東には県議会棟、すなわち、西の丸、東の丸。
加えて、広大な駐車場、バスターミナル、公園、多目的広場を「馬場」のごとく備え、さらには二つの池を穿った庭園も広げるとなると、その姿は、まるで近世の巨城を思い起こさせずにいられない。
なので、
「県庁ですか!展望室にはのぼりましたか!」
この建物がその広大な外構設備とともに竣工した当時(99年)、水戸駅でタクシーをひろうと、やや興奮気味の運転手さんによくこう言われたものである。
なお、展望室はこの建物の25階にある。のぼると、北に水戸の市街地、南には果てしなく広がる関東平野が一望となる。夜景もいい。いまや水戸の名所のひとつとなっている。
ところで、巨城といえば、この茨城県庁舎を擁する茨城県は、その多くの部分が徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の支配地だった。水戸の町は、幕末まで、水戸徳川家がその城を置く御三家の「都」だったのである。
そこで、御三家の城といえば、ほかには尾張の名古屋城、紀州の和歌山城がある。
名古屋城は、ご存知、五層の大天守がそびえる巨大な城。和歌山城も、虎伏山の上、累々と続く石垣の上に連立式の天守が鎮座し、それなりの規模を誇っている。
ところが、わが水戸城はそうではない。水戸駅前の北側に広がる丘がその跡なのだが、付近を散策しても、御大・御三家の城らしい何かが足りない。
石垣である。この城には石垣が無い。
無くしたのではなく、初めから無い。しかも、堀は空堀で、土を掻き上げた土塁が周囲を巡り、敷地の広さこそあるが、その実質は中世の土豪の平山城とさほど差がない。
さらに、この城には天守も建てられず、代わりに小さな三重の櫓がちょこんと本丸上に置かれていた。そして、この櫓、なぜか腰巻を巻いたようにその裾部分をナマコ壁に覆われていたという。
石垣を模したつもりだったのか。
先の大戦による空襲でこの建物は焼失してしまったが、古い写真を見ると、その姿は人情芝居の書割を見るようでなんとも物悲しい。
尾張、紀州に比べ、あまりに質素な水戸徳川家の城。質実剛健の家風、さらには、名古屋、和歌山とはちがい、水戸城には江戸幕府の潜在敵国である西国雄藩へのにらみを利かせる役目もなかったため、城への投資は吝(しわ)く抑えられたようである。
一方、こんにちの巨城、茨城県庁舎。まるで水戸藩以来400年の鬱憤を晴らすかのように、県民は全国の県庁舎のなかでも指折りの建設費をこれに投じた。
(上記は初出2009年。情報は当時のものにゃ! トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)
▼その他の水戸の名所の話にゃ