「嫌な過去、恥ずかしい過去、捨てたい過去は、あとから自分で変えられる」
トラキチはつくづくそう思うにゃ。
過去は変えられるって。
嫌な過去も、恥ずかしい過去も、捨てたい過去も―――われわれそれぞれの生き方次第で、過去はどんどん変わっていくものにゃ。
どういうことか?
これ、別に量子力学的な話をしようというのではにゃいぞ。
正しくは、過去は変わらにゃいな。決して変えられにゃい。塗り替えられないし、上書き保存もできにゃいな。
とはいえ、過去は変えられなくとも、過去への評価は、結構簡単に変わるものにゃ。
その人の過去への見方・見られ方というのは、往々にして変わっていくものだとトラキチはよく感じるんよ。
たとえば、典型例。
ホリエモンにゃ。
この人は、一時は日本中を敵に回し、叩かれたにゃ。ついには捕まったにゃ。刑務所に放り込まれたにゃ。
にゃけど、そんな悲惨な過去がもしも彼に無かったとしたら…
多分、いまほどの活躍も存在感も、彼にはにゃいぞ。
ホリエモンにとっての屈辱の過去は、むしろ名誉の負傷・古傷で、少なくとも彼のファンにとっては黒歴史どころか輝く経歴になってるよにゃ。
「2ちゃんねる」のひろゆきにゃんもそうだよにゃ。西村博之さんにゃ。
これほど数多くの損害賠償請求を抱えた人をトラキチはとりあえずほかに知らないにゃ(笑・探せばいるんにゃろうけどな)。
ひどいといえば、実にひどい過去をもつ人にゃ。
元外交官の佐藤優にゃん。いわゆる鈴木宗男事件絡みで有名になった、跳び箱みたいなシルエットの人にゃ。
逮捕され、なんと500日以上の拘留にゃ。もはや実刑に服したといってもいいくらいだよにゃ。
井川意高(もとたか)にゃん。カジノにハマって巨額の借金をこしらえて、会社にどでかい損害を与えたにゃ(大王製紙事件)。そんで、逮捕・収監されたにゃ。
にゃんともかんとも、こっ恥ずかしい社長さん(のち会長)にゃ。
それでも、井川にゃん、その後しぶとく復活してるよにゃ。ちょっと危なっかしいけど元気に活躍してるよにゃ。
佐藤優にゃんなんか、いまや日本の「知の巨人」のひとりになってるもんにゃ。
井川にゃんの方は、その後ますますカジノにのめり込んで、腕を上げちゃっているとかいないとか…
いいんかいな!
ま、ともあれ、この人たちの人生ってまるでオセロゲームにゃ。
逮捕されたり、収監されたりした、過去の事実こそもちろん変えられにゃいけど、それぞれの過去への見られ方や評価に関しては、皆、オセロゲームの石をひっくりかえしたみたいに、黒を白に変えることに成功してるよにゃ。
その理由って、何にゃろ?
とにかく、シンプルに前向きなことだよにゃ。ホリエモンにゃんも、ほかの3人も、とにかく見たところ前向きにゃ。
「俺の過去など知らん。勝手に論じてくれ。それより俺にはいまやりたいことがある。時間がないんだ!」
そんな調子で、彼らはどんどん明日へ、未来へと進んで行っちゃうので、過去にこだわろうとする周りの方が置いてきぼりになってしまうということにゃ。
これ、まさに万人のロールモデルにゃぞ。
ある意味での人生のお手本にゃ。
ちなみに、ちょっと前までの日本人には、なかなかこういうタイプっていなかったような気がするんよ。
リクルート事件を思い出すといいにゃ。
江副浩正にゃん、抹殺されたにゃ。
能力にあふれていた人にゃけど、二度と浮かび上がれなかったにゃ。
江副にゃんが事件を起こした頃って、いまのネット時代と違って、マスコミに叩かれることイコール、国民1億2千万全員から叩かれることだったからにゃ。(ここって多分感覚取り違えている人、いま多いと思うぞ)
にゃので、本人も、そういう立場に立った者がふたたび世に浮かび上がっていいんだとは、おそらく思ってなかったにゃ。
つまり、周りも彼らを浮かび上がらせなかったし、彼ら自身もそうしなかったということにゃ。
でも、いまは違うぞ。
嫌な過去、恥ずかしい過去、捨てたい過去は、あとから自分で変えられるんよ。過去を振り返らずに、ひたすら未来へ向かって進むことで。
そのことが「周りに元気な姿を見せる」だけでもいい、みんなに何かを与えられるものであるならば、過去は変えられなくとも、過去への評価はちゃんと変えられるにゃ。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)