(画像はamazonさんより引用させていただきました)
こんにちは!
クリスマス世代・・・とはまた、身勝手なタイトルでゴメンナサイ。
まあ、でも、わかりますでしょ?
「女は24歳までが華のクリスマスケーキ」
なんて言ってため息をつく女性がいたり、
「イブのホテルを予約してから必死に恋人探し」
なんてオトコがホントにいたり。
そんな滑稽な青春時代をかつて過ごした世代です。
それにしても、なんとなく今年は、街が例年よりもクリスマスで盛り上がっていない感じがしますね。
気のせいかな?
それとも、さてはハロウィンのせいかな?
まあ、それはさておき、
松任谷由実の「恋人がサンタクロース」('80)
山下達郎の「クリスマス・イブ」('83)
これら和製クリスマスソングのエベレスト、2つの誕生も見てきた僕が、これら以上にこよなく愛するクリスマスソングのことを今回は語らせてください。
それは、
佐野元春さんの「CHRISTMAS TIME IN BLUE ―聖なる夜に口笛吹いて―」です。
作詞・佐野元春 作曲・佐野元春
リリースは'85年の暮れ近くでしたね。
ちょいとデカめの12インチシングルで売り出されました。当時、普通のシングルよりも音質のよいフォーマットであるとされていたやつです。ホントだったんでしょうかね。
ジャケットは牧野良幸さんです。
いまも大活躍しているんですが、名前はあまり知られていない、何やら粋なポジションにいる(と、僕は思っている)人です。
その牧野さんによる、冒険的なイラストが表にドーン・・・! シャガール風近代ロマネスク(?)とでもいったような感じの。
「なんだこりゃ」と思いました。当時は。
要は、この頃の佐野元春さんらしく、ソフトもハードも、すべてが凝っていました。
なので? この曲、なんとなんと、
レゲエなんです。
と、いうか、レゲエそのものだといってしまうと語弊があるので、
「レゲエ・フィーチャリング元春サウンド」ですね。
南国っぽい調べに乗りつつも、夜空から粉雪が舞い落ちるようにふんわりと降り注いでくるこの曲の音をはじめて聞いたとき、
「こんなに優しいサウンドがあるのか」
と、僕は一瞬、心の塵が振り落とされる想いを感じたものでした。(場所はある駅前のレコード屋さんの試聴コーナーでしたね)
以来、大好きです。
そしてさらに、
詞はもっとすごい。
このクリスマスソングは、恋人同士のためでもなく、子どもたちのためでもなく、地球に生きる人びとすべてのための唄になっているんです。臆面もなく。
その内容は、非常に本質的かつ根源的で、何年経ってもまったく古さを帯びるところがないんです。
変な表現ですが、どこかお経にも近いところがあるんですね。
インド経典のように執拗に羅列的で、
愛というより慈悲が感じられて、
しかもあえてきらめくように装飾的でもある・・・
きらびやかなクリスマスの街をひとりゆく孤独な人物にスポットをあてながら、それをやや憐憫の交じった気持ちで見守っているこちら側がいつの間にか世界を照らす無数の光に包まれている・・・
見ると、孤独な人物は、実はその光の美しさにわれわれよりもずっと先に気づいていた。つまり彼は孤独なのではなかった。孤独なのはわれわれの方だった・・・
そんな、相即相入、重々無尽を感じるような一曲です。
―――って、また、わけのわかんないこと書いてるなあ(笑)
相即相入、重々無尽って、奈良の大仏さんで有名な「華厳教」が展開している思想のことです。
そして、あるいはこの「CHRISTMAS TIME IN BLUE~」、どこかジョン・レノン的でもあります。
ただし、無神論的かつ、厭世論的、かつ皮肉屋な方向には突き詰めておらず、詞の中で、主人公は気兼ねもなく「ミスター・サンタクロース」に誓いを立てるんですね。
まるで、ガウンをまとったミッキーマウスが聖夜の星に祈るように。
その誓いは、詞の読み取りようによっては、道端のホームレスがひそかに抱くくらいの小さなもののようにも思えるし、あるいはそうではなく、アメリカ大統領が胸に秘めるべきとても大きなものであるかのようにも思える―――。そんな感じです。
どうぞ、この歌の詞だけでも読んでみてください。
下の画像は、amazon「デジタルミュージック」のページにつながっています。
12インチシングルのあと、「CHRISTMAS TIME IN BLUE~」は、その後アルバム「Café Bohemia(カフェ・ボヘミア)」の中に、トリを飾る曲として収録されました。前後をインストゥルメンタルで挟む演出も、この時代らしく「作品」っぽかったですね。
(下の画像はamazon「ミュージック」のページにつながっています)
以上、今回もおそまつです。
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