今回のテーマは「人脈」にゃ。
ちなみに、トラキチは地方の小さな町で育ったんにゃけど、若い頃に東京に出てきて、
「あっ、これが東京か!」
そのことをまざまざと感じた瞬間といえば、やっぱし人脈豊富な人に出会ったときだよにゃ。
「うらやましいなあ」と、素直に感じたにゃ。
なんでって?
それは、どんなに能力がある人でも、人間ひとりができることって限られているからなんよ。
その点、本物の人脈をもってる人ってすごいんよ。軽々と乗り越えていくんよにゃ、そのハードルを。
人脈=ネットワークの力で。
「これって魔法の杖だな」と、感心させられることが幾度もあったにゃ。
でもって、こうも感じたにゃ。
「人脈自慢する人には、ろくなのがいないな」
にゃはは。
そこで、今回は、
本物の人脈を豊かにもっていて、それを動かすことができる「人脈家」(トラキチの造語にゃ)と、
名刺交換した相手こそ多いんだろうけれど、本物の人脈として活かすことは決してできない「人脈自慢」との違いを
いくつか並べていくにゃ。
- 人脈自慢はひけらかし、人脈家は人脈を秘密にする
- 人脈自慢は人脈を探し歩く。人脈家の周りには勝手に人が集まる
- 人脈家の人脈は「年下」にボリュームが大きい
- 人脈自慢は人の値踏みばかりしている
- 人脈形成のスタート、多くは「大学」
人脈自慢はひけらかし、人脈家は人脈を秘密にする
まずは、これ。決定的な違いだにゃ。
人脈自慢は、文字どおり自慢をしたいので、人脈(と本人は思っているもの)をひけらかすんよ。
あるいは、やたらとおせっかいに匂わせたりするよにゃ。
にゃけど、人脈家は違うんよ。人脈をひけらかしたり、匂わせたりは決してしない。
そのうえで、努力している人や、能力があるのに運に恵まれず苦戦している人を人脈家はじっと見てるにゃ。
でもって、その人が信頼できる人間だと見極めたところで、
「こんな人が知り合いにいるけど紹介しようか」
などと、切り出してくれるにゃ。
なぜにゃろ?
人脈家は、つねに自分とつながる人たちの「Win Win」を第一に考えているからなんよ。
困っている人のひたむきさや真面目さが、その人を助けてあげられる位置にいる人にとってのプラスにもなる―――
そう判断したとき、人脈家は、魔法の杖を振るように秘密にしていたネットワークを発動させるにゃ。
人脈自慢は人脈を探し歩く。人脈家の周りには勝手に人が集まる
人脈自慢は、まるで名刺集めが一生の趣味みたいに、あちらこちらの集まりに顔を出すにゃ。
ほんでもって、SNSでも繋がりまくるにゃ。
にゃけど、すくなくともトラキチは、その手の人物が、豊かな人脈家に成長していった姿を見たことがないにゃ。
本当の人脈家は、過去に、人脈づくりなど興味なく、脇目も振らず目の前の仕事に打ち込んだ経験を必ず持ってるにゃ。
でもって、それを見ていた上司や先輩、後輩、一緒にたたかった同僚や仕事仲間、取引先の人なんかが、人脈家のもつ人脈のコアとなっているケースが大半にゃ。
そのうえで、最初のコアの数はたとえ3~4人や、5~6人程度だったとしても、人脈家は、そこからは尻上がりの勢いで、何百人、何千人といったネットワークを広げて行ってるよにゃ。
人脈家の人脈は「年下」にボリュームが大きい
トラキチの見てきた範囲では、人脈家の人脈は、年下や目下の人に大きく偏っていることが多いんよ。
なんでか?
人脈家は、これまでにしてきた仕事のうえで、イノベーターだったことが多いからなんよ。
意外に感じるかも知れにゃいけど、年上・目上の人からは、嫌われたり、干されたりした経験のある人も多いにゃ。
その代わり、あとに続く人たちからしてみると、そんな「のちの人脈家」は、かつて力が無かった頃の自分の代弁者だったり、道なき道を切りひらいてくれた改革者だったりするわけなんよ。
その結果、
「僕のいまの立場はこの人がつくってくれた。なので、この人に何か頼まれたら僕は命がけだ」
そう思ってくれるような、強靭なネットワークがいつの間にか出来上がっているかたちだにゃ。
一方、人脈自慢の方はといえば、視点がまったく逆にゃ。
年上、目上、地位のある人の前ばかりで、目をキラキラさせてるよにゃ。
人脈自慢は人の値踏みばかりしている
これも人脈自慢の特徴にゃ。人の値踏みをするんよ。
なおかつ、残念なことに、その様子が周りからはよく見えていることも多いよにゃ。
トラキチが知ってる人脈自慢のひとりは、Facebook で友達が増えると、そのことを陰に陽に吹聴するにゃ。
でもって、この人の特徴がまさに人への値踏みで、誰かと会うときはいちいちハッキリと場所の「格」を変えるんよ。
たとえば、おべっか使いしたい相手のときは、夜、がんばって高い店を予約。
軽く見ている相手の場合は、大抵、昼休み、混んだランチ屋さんの狭いテーブル。
たとえ相手にとって大事な仕事の話であっても、つねに迷わず、ガチャガチャと周りのうるさいランチ屋さんにゃ(笑)
にゃもんで、そんな場所に呼ばれた多くの人が、自分への値踏みに気づくにゃ。
「なるほど。こっちを軽く見るんだったら、こっちだってあんたを軽く見るさ」
―――で、結局のところ、知り合いは増えても本物の仲間は増えない状態になってるにゃ。
ちなみに、この人脈自慢の人、会社員なんよ。昇進は若干遅れてるにゃ。
その理由を当人は、
「オレを理解してくれる上司に恵まれて来なかったからだ」
と、どうやら思ってるらしいけど、ちがうんよ。
下から信頼されていないことが、上からはよく見えるんよ。
なので、この人、会社での出世は半ばあきらめて、辞めて独立するのを夢見てるにゃ。そこいら中の集まりに顔を出し続けてるにゃ。
にゃけど、それってヤバいよにゃ。
つまり、この人、いまは会社の肩書きがあるからこそ、辛うじて人脈自慢もできるんよ。
退社後は一気に人が離れていくパターンがありありと見えてるにゃ。
じゃあ、人脈家はどうしている?
じゃあ、本物の人脈家は、人と会う場所をどうしているかというと、答えは「固定」だにゃ。
トラキチの見てきた彼らは、ほぼ全員、人と会う場所を相手によってより分けるのではなく、機能で固定してるよにゃ。
たとえば、ある人脈家にゃ。
銀座界隈で人に会うなら、相手がどんなVIPであろうと、若造であろうと、〇〇ホテルの高級なバーか、△△ホテルのリッチなラウンジにゃ。
さらに、こんな人もいた。
夜ならば、後輩や友達のやってるシャレたお店か、自分がオーナーになっているビルの店子さん達のレストラン、必ずいずれか。
つまり、わかるかにゃ?
これって、呼ばれる方は、
「若造のオレなのに、すごくいい店で会ってくれるんだな」
「今日は僕を身内に会わせてくれたんだな」
感動するにゃろ?
でもって、お店が身内の場合、店の側にとっても、それってお客さん候補との出会いにゃろ?
少なくともそこにお金が落ちるにゃろ? たとえその日だけでも。
WinWin なんよ。
まさに WinWin なんよ。
しかも、人脈家本人にとっても、そうやって場所を固定しておけば、舞台はいつもホームグラウンドにゃ。
つねに落ち着いて、マイペースで話ができるよにゃ。
これこそが、人脈家のやり方にゃ。
人脈形成のスタート、多くは「大学」
これは高卒のトラキチにとっては、ちょっと心に痛い話にゃ。
人脈家の人脈形成の始まりって、大学であるケースが、トラキチの見て来た範囲では多いよにゃ。
たとえば、大学のスポーツ部のキャプテンは、いまも仲間内での心のキャプテンだったりする。
ほんでもって、彼を慕うメンバーや後輩たちといえば、財界、官界、政界、メディア、法曹界、文化・芸能界―――、
さまざまな世界に散らばっていて、いざひと声掛け合えば、いつでも協力体制が築けるといったかたちだにゃ。
ちなみに、これ、興味深いことなんにゃけど、そういったネットワークにいる人の中には、「あれっ」と思うような、全然すごくない人もいたりするんよ。
経営しくじったり、会社リストラされたり、社会に出てからはなかなかうだつの上がらない人や、再浮上できない人も結構いたりするんよにゃ。(小声で添えるけど、偏差値の高い大学出た人ほど、大人になってから苦労してそうなADHDっぽい人も目立つにゃ)
それでも、明るくて悪い人じゃないので、昔の仲間がいつも見守っている…
人生落っこち過ぎないように、いざというときには助け舟を出す用意をしている…
そんな例も見たことがあるにゃ。
なぜ大学が人脈形成の根もとになるのか?
これは、繰り返すけど大卒ではないトラキチが想像する答えにゃ。
まず、大学生同士、その時分はまだ結果としての人生の差がほとんど見えていないよにゃ。
要は、平等にゃ。
ただし、子ども同士の平等ではなく、自我がある程度育った、大人に近い同士の平等にゃ。
でもって、部活動にせよ、研究活動にせよ、遊びに打ち込むにせよ、学生時代の人間関係には、経済的利害が基本絡まないよにゃ?
(学生ベンチャーをやる場合は別にゃろうけど、それでも、社会人・企業人になってからの人間関係とはやはり一線を画すと思うんよ)
そうした上で培われた、素の人間同士の「認め合い」「理解のし合い」。
それって、やっぱし大きいんにゃろな。
将来グングン芽が出て成長していく、人間関係のすばらしい種(タネ)に、おそらくなっているんにゃろな。
大卒の人、どうにゃ? 当たってるかにゃ?
そんな答え、ベタすぎる?
にゃはは。以上。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)