ちょっと気になることをお話ししますね。
きっかけは雑談です。
先日、クラウドソーシングでの副業をやっている友人から、妙な話を聞きました。
クラウドソーシングサービスに登録し、「土日ライター」をやっているこの友人。
ある解せない仕事に、先日まで関わっていたそうです。
結論を先に言いましょうね。
「求人おとり広告」ともいうべきものが、どうやら世の中に出回っているようですね。
友人は、ひょっとすると、そういった類のものに協力させられていたのかも?
しれません。
友人からきいた仕事の内容です。
まず、クライアントから「企業名」が送られてきます。
送られてきた企業名をもとに、彼はその会社の求人情報を調べます。
調べる先は、当該会社のコーポレートサイトのほか、有名・無名のあらゆる求人情報サイトや、転職エージェントサイト、あるいは口コミサイトです。
そこから、その会社の給与や休日体制、福利厚生、残業時間など、さまざまな情報を拾い上げます。
さらに、事業内容、募集中の職種など、色々と調べ上げ、各項目別にフォーマットされた文章に仕上げます。
で、とどのつまり出来上がるのは、求職者向けの会社紹介記事なんです。
それをクライアントに納めます。
原稿料をもらいます。
そこで友人は、
「それにしても、一体何にこの記事・文章、使うんだろ?」
と、不思議に思ったそうです。
なぜって?
クライアントは、大きな会社ではありませんが、知っている人はその名前をよく知っている会社なんです。
クラウドソーシングの発注者にありがちな匿名クライアントではなく、ちゃんと社名を名乗っての発注なんです。
そのうえで、今回の納品物・・・
その会社が普段の業務で必要としている記事であり、文章であるとは、
「どうしても思えない」
それが友人の見解でした。
そこで、僕の方でちょっと調べてみました。
事情通な人をつかまえて、聞いてみたんです。
結果、
どうやら、友人は今回下請けの立場にいたようです。
上記の会社は元請けです。
その先に、発注元がいます。
今回友人の書いたような記事・文章を必要としている、真の発注元です。
その「真の発注元」の業態は・・・?
社名は・・・?
一応、詳しいところまで判りましたが、予断や誤解や濡れ衣が生じてはいけませんので、ここで話を一旦止めますね。
さて、
ここからは一般論と断ったうえで―――。
今回、僕は、友人の話を聞きながら、ある妙なことを想像したんです。
「こういうことって、やろうと思えば可能だよな?」
と、いう想像です。
たとえば僕が、
インターネット上に、求人情報サイトなり、転職サイトなりを運営するとします。
エージェントサービス付きです。
そしてそのサイトに、たくさんの会社の求人情報を掲載します。
ただし、その情報は、僕がそれらの会社から直接集めたものではありません。
クラウドソーシングを利用して、大勢のライターに書かせたものなんです。さっき説明したみたいな流れで。
ちなみにサイトは会員制にしておきます。
登録会員だけが企業別の情報を見られます。
そうしないと、当の求人元から、
「おい、ウチの情報、頼んでもいないのに勝手に載せんなよ」
「求職者が混乱するからやめて!ウチとっくに募集終わってますんで」
なんて叱られちゃいそうでヤバいですからね。
で、とにもかくにも、
求人情報がたくさん載ったサイトを用意するんです。
すると、それを見た会員ユーザーさんから問合せがきますね。
「A社に応募したいんですが」
すると、僕はこう答えます。
「あ~、ごめんなさい。そのA社の求人ってもう終わっちゃってて・・・。代わりにこっちのB社どうですか?」
ハイ、そうです。
このB社こそが、僕の本当のクライアントなんですね。
A社の求人情報って、要はおとりなんです。
そんな「おとり」におびき寄せられたユーザーさんを僕はB社の面接に送り込みます。
首尾よく採用となれば、僕のフトコロには成功報酬がチャリン―――!
一丁上がり、といった寸法ですね。
で、そんな想像話をさきほどの事情通のおっさんにしてみたんです。
笑われました。
「いま頃気づいたか。そういうのウジャウジャいるよ」
だそうです。
ウジャウジャかどうかはともかく、あるんだそうです。そういうのが。
とりわけ、介護とか看護とか、いわゆる人手不足業界での求人分野で、そうしたおとりやおとり師(?)達が、結構うごめいているんだそうです。
さてさて。
と、いうわけで、
冒頭の友人の一件、決めつけるわけにはいけませんが、どうもそんな話と話が重なるなあ・・・といったところが僕の感想なんです。
そうではないことを祈ってますけどね。
だって、友人に仕事を発注した元請は、すでに社名を公に晒しちゃってるわけですから。
ともあれ、
人手と時間をかけて、取材記事並みの求人広告を仕上げている真面目なサイトからすると、流用物からチョチョイのチョイとおとりを作られ、利用されちゃうとすれば、それってなんとも理不尽なことだなあ、と、いうほかありません。
ただ一方で、
そうした世界も、情報のデジタル化とネットワークの発達がもたらすある意味での当然の結果なんだろうな、とも僕には思えるんですよ。
「肯定」ではなく「仕方がないこと」という意味で。
デジタル化社会では、「これをしたらダメ」「あれは禁止」では、なかなかものごとは収まりませんからね。
ダメだ、禁止だ、ではなく、
「これをしても無駄」「あれをやっても損」といった仕組みをとにかく必死に組み上げていくことこそが、何ごとにつけ大事になるはずです。
あとは、自分自身がそういったことに手を染めるか、染めないか。
個人の矜持。
そこですね。
以上、今回もおそまつさまです。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんより)