「死にたいヤツは周りを巻き込まないでひとりで死ね」
正論です。
ただ、アナタのそばにそんな正論を激しく吐く人がいたら、アナタはそのことをちょっと気にかけておいてあげてください。
自暴自棄となり、通り魔をやってから自分の首を切って死ぬ人や、
建物の屋上から飛び降りて、下にいた人を直撃してしまう人、
そんな人に対して、
「自分が死ぬのに他人に迷惑をかけるな」
と、興奮し、憤る人は、
「自分ならば迷惑をかけずに立派に死ぬ」
と、普段、考えている人です。
要は、重い責任感と、社会的公共心と、覚悟を備えた人物です。
つまり、自殺しやすい人ですよ。
そんな人が、不幸にして他人に迷惑をかけるような失敗をしでかしたときは、とても危ないので、しっかりと見守ってあげてください。
ハイ、以上で今回のお話は終わりです。
でも、それだと短すぎてSEO上の支障もありそうなので、ワタクシの話をしましょう。
ワタクシ、自殺に巻き込まれかけたことがあるのです。幼い頃に。
巻き込もうとしたのは母です。
ワタクシを道連れに死のうとしたのです。
原因は夫婦の不仲でした。
母は3歳のワタクシを連れて家出をしたんです。
当時、母はまだ20代半ば。
そもそも反対されていた結婚、子育てに疲れ果てたところに夫との問題・・・
父親の死も影響したかな(ワタシの祖父・病による突然死)。
とはいえ、
あとで振り返ってみれば、そんなに追い詰められた状況でもなかったはずなんですけどね。
ともあれ、若さゆえの衝動からか母は家出し、子どもを連れて彷徨い、財布の中身もほぼカラになったところで、あてもなく夜汽車に乗ったそうです。
そこで母はついに自殺を決意し、客車のデッキに立ちました。
ちなみに昔、鉄道の客車の扉って自分で開けられたんですよ。
走行中でも。
夏なんかよく開けっ放しで走ってましたね。
で、母は、扉を開けました。
ワタクシを抱き抱えながら。
そして、いよいよ真っ暗な線路沿いにワッと飛び出そうとしたところ、ワタクシが猛烈な勢いで、
「こわいよ」
と、泣き出し、
すんでのところで、われに返ったんだそうです。
以上のことを母から聞いたのは、30歳近くになってからのことでしたね。
ある不思議が一気に解消しました。
「子どもの頃、あんたが列車の連結部分を歩くのをいつも怖がってたのは、そのせい」
とのことで、
まったく言われるとおり。
僕は12~3歳くらいになるまで、なぜか、列車のデッキに出て連結部分に近づくのがものすごく嫌だったんです。
疑問が解けました。
それにしてもよかった・・・
叫んでおいて。
記憶にはないけど。
母はその後、キャバレーのホステスになり、売れっ子になって、夜の世界で生きていく術を身につけました。
スナック、クラブで経験をかさね、やがてチーママに、そして雇われママに。
最後は自分の店を2つ持ちました。
僕は、母のファンや、パトロンたちが母に注ぎ込むお金によって、比較的不自由のない子ども時代を過ごしています。
「私は夜の仕事には向かなかった」と、母本人はいまだに語るも、僕はなかなか面白い人生になったんじゃないかと思っているんですが、
それはあの夜、僕が汽車のデッキで泣いて叫んだからなんです。
「こわいよ」と。
まさに価千金の「こわいよ」でしたね。