(上の絵はamazonにゃんから引用にゃ)
この前、高橋留美子にゃんの「犬夜叉」を読破したにゃ。にゃはは。なんと、2019年から3年もかけてにゃ。
どういうことかというと、スマートフォンアプリの「サンデーうぇぶり」ってあるにゃんか?
あれで、こつこつ毎日ポイントを貯めながら、同時に使いながら、ゆっくり、のんびり読んでたんにゃ。並行して「境界のRINNE」も読みながらだったので、えらい時間がかかったにゃ。
(サンデーうぇぶりにゃんの画面を引用にゃ)
高橋留美子っていう人はホント天才だよにゃ。犬夜叉では、友情・努力・たたかいのいわゆる「少年マンガ」と初めて正面からガチに組み合ったかたちだよにゃ。ほんで見事に勝利してるにゃんか。
しかも、目につくほどの苦戦もしてないんよ。例えるなら、立ち技でしばらく相手の様子を見たあと、有効技から万全の寝技に固めてそのまま「一本」って感じだにゃ。
ちなみに、犬夜叉の連載開始は’96年にゃ。この年って、実は前年にドラゴンボールの連載が終了してる年なんよにゃ。
それでいうと、犬夜叉にはドラゴンボールの初期のテーマを引き継いでいる雰囲気もあるよにゃ。
ドラゴンボールでは話の重心に据え切れなかった7つの「ドラゴンボール」を巡る冒険ファンタジーを犬夜叉は四魂の玉で引き継いで、それを最後まで保(も)たせた感じかにゃ。
このあたり、「ジャンプ&鳥山明」のタッグよりも、「サンデー&高橋留美子」のタッグの方が、我慢強さでは勝っていたといってもいいのかもしれないにゃ(笑)
ちなみに、犬夜叉成功の最大のカギを挙げるとすれば、それは「殺生丸」のキャラだよにゃ。もちろんファンのみんなが思っていることにゃろうけど。
このドラマで一番重い「葛藤」は、犬夜叉ではなく、殺生丸が背負ってるにゃ。少年マンガに無くてはならない「成長」もにゃ。
おかげで、主人公の犬夜叉はえらくフリーハンドになって身軽にゃ。最後までガキ大将キャラを維持できてるよにゃ。
ここって、うまいよにゃ。
加えていうと、メインキャラに死者を出さなかったことも、実は犬夜叉の美点だとトラキチは思ってるんよ。桔梗がいるけど、彼女はもともと死んでるからにゃ。
法師にゃん(弥勒)なんか、本当は最後の方で華々しく散ってたら、かなり感動を呼んだはずのキャラにゃんか。女ったらしの生臭(ぐさ)坊主が仲間との冒険の中、本気でひとりの女性を好きになって……って、この流れ、思い切り死亡フラグ立ってるしにゃ(笑)
でも、それをしなかったんよ。留美子にゃんとサンデーは。
さらにいうと、やはり死ねば感動だけは稼げたはずの琥珀もりんも死なせなかった。
そのことで、犬夜叉たちのいる過去の世界の温かさがすっぽり維持されて、その世界は最後にかごめが「帰っていける」世界になったにゃ。
戦国にゃし、妖怪もまだたくさんいるのに、「彼女が帰ってよかった」「行く決心をしてよかった」と、読者に思わせる世界になってるにゃ。
うまいよにゃ。ここも。
計算か偶然かはわからないけどにゃ。
ちなみに、トラキチが高橋留美子にゃんの作品に出会ったのは、定番にゃけど「うる星やつら」が最初にゃ。当時単行本も5巻くらいまで買ったけど、実はそんなに好きにならなかったにゃ。
「月とスッポン」――少年誌ラブコメのパイオニア(柳沢きみお)――的なものに、中途半端にSFやファンタジーやスラップスティックをふりかけた印象が、多分あったかもしれないにゃ。
そのうち、留美子にゃんの「ダストスパート!!」を読んで、こっちでは あっ と驚いたにゃ。ファースト・ルパン(TV)でもなく、永井豪でもなく、吾妻ひでおでもなく、松田優作でもなく――の、とにかく新しい印象にゃ。
そんで、次に全部読んだのが「めぞん一刻」で、これを読んだあとトラキチは留美子にゃんに白旗を上げたにゃ。この人はおそらくドラマでもなく漫画でもなく、「コミック」を描く天才なんだと思った。コミックの語源はギリシャ語の「喜劇」にゃ。
そんなこんなで、犬夜叉 は、トラキチにとって通算で4作目、感動作としては3作目の高橋留美子作品になったわけにゃ。
「境界のRINNE」はまだ読んでる途中にゃけど、多分、後者の4作目になるにゃろ。