「もう我慢ができぬ」
男はそうつぶやいて立ち上がると、やにわにその顔を藍染の頬被りで隠し、家人や女中らに気付かれぬよう、ひそかに屋敷を抜け出た。
夏。うだるような暑さの夜。
伸びきった庭草が、周囲を蒸し殺さんばかりに青臭いニオイを辺りに放っている。
阿波蜂須賀25万7千石。徳島城下。
すでにくるりと裾をまくり上げ、尻からげになってしまっている男の行き先は、決まっていた。
男は、賑やかな鉦や三味線の音がひびく城下の町人町へ向け、静かに駆け出すと、やがて行く手に灯(ほ)明かりを見た。
一団の男女が、楽しげに踊り歩いている。
男は足早に進み、これに近づくと、
「御免」
と、踊りの列に加わった。
怪しまれる心配はない。途中で誰が参加を申し出ようとも、こころよく踊りの仲間に加えてやるのが、ここ阿波の盆踊りでの決まりである。
男はよほど舞に自信があるらしい。
するすると進み出て集団の先頭に陣取ると、
(今夜だけ。今夜だけじゃの豊楽じゃ)
心中自らを戒めながら、時を忘れて踊り呆けた。
ところで、この踊りの集団を「連(れん)」という。
今夜も広い城下、無数の町人たちの「連」が、鳴り物に合わせて足を踏み出し、手を宙に舞わせ、西の通り、東の路地――夜も勝手に更けよと、飽かずに練り歩きつづけている。
そのうち、やがて、
「この頬被りどん、さて誰じゃろう」
やたらと達者な男の舞に感心しきった同じ連の仲間が、首を傾げながら互いの肩をつつき合いはじめた頃、異変が起こった。
「頬被りどん、お改めが来た。お改めじゃ」
気付くと、鳴り物も踊りも止んでいる。
「叱られますぞ。貌(かお)をお出しなされ」
はっ、と事態を察した男が、その場を走り去ろうとすばやく一歩を踏み出したところ、
「こら、待てっ」
声がとどろいた。
男の小柄な背中が、駆け出そうとしたその姿のまま、松明の炎に照らされ、闇に浮かんでいる。
「そこの男、待て。頬被りをしておるな。外せ。触れを知らぬか。それは禁じられておる。顔を改める。こちらへ来い」
そのときである。
「あっ、どこへ行く」
男が脱兎のごとく駆け出したのである。
が、無念。四、五十歩も走らぬうち、すぐさま藩役人らに追いつかれ、男はあえなく捕らえられてしまった。
無理もない。一刻半ほども踊り続け、男、足も腰も疲れている。
ハアハアと息を切らせつつ、藩の監察役人である某の前に引き据えられ、
「顔を見せよ」
観念したか、男は自ら頬被りを解いた。
ところが、
「あっ あなたは――」
灯明りに浮かんだその顔を見て、驚き仰天したのは役人どもの方であった。
男の名を明かそう。
蜂須賀一学直孝。
藩の高官である中老、士(さむらい)組頭の職にあって、禄高一千石を食む大身。
それだけではない。前々藩主蜂須賀重喜はこの男の父――という、藩内貴人中の貴人だった。
この頃、阿波蜂須賀家は、家中すなわち藩内の武士や武家奉公人に対し、
「盆踊りへの参加を固く停止(ちょうじ)」
の旨、言い渡していた。
その理由には諸々あってここには書かない。が、無論、これに違反すれば何人たりともただではすまない。
しかしながら、ついに我慢がしきれず、身分を忘れて踊りの列に加り、舞ってしまった一学に対し、藩は致し方なく座敷牢での謹慎を申しつけた。
ところが、
「おれが踊って誰に迷惑をかけたというのだ」
不満のおさまらない一学、間もなく無断で牢を抜け出してしまう。
これを聞いて藩主斉昌、
「家中に示しつかず」
と、して赦さず、一学は家名断絶の上藩を追放。高禄一千石を捨てて徳島城下を去ったという。
男が愛した阿波の盆踊りをいま「阿波踊り」と、われわれは呼び親しんでいる。
(上記は初出2009年。トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)
▼その他の徳島の話にゃ