トラキチが昔から「マヌケだにゃ~」と、思っている言葉をひとつ挙げるにゃ。
それは「説明責任」にゃ。
国会議員さんが議論するときや、問題を起こした人が責められるときによく使われるよにゃ?
「説明責任を果たしなさい」って。
これ、間抜けな言葉にゃぞ~
何がマヌケかって、こんな言い方するから、相手にマトモに「説明」してもらえないんにゃ。
こんな言い方してるから、話がいつものれんに腕押しになるんにゃ。
その辺って、多分みんな昔から気づいていないんだろうにゃ~と、トラキチは思ってるにゃ。
じゃあ、「説明責任を果たしなさい」と言わずに、どう言えばいい?
簡単にゃ。「説明しなさい」でいいんよ。
あるいは、丁寧に「ご説明ください」でいいんよ。
その理由をいまから簡単に説明(←笑)するにゃ。よ~く聞いてにゃ。
まずは「説明責任を果たしなさい」という言い方にゃ。
ハイ、これ、動詞はどこにあるにゃ?
そうだよにゃ。「果たしなさい」のところにあるよにゃ。
にゃので、「説明責任を果たしなさい」という場合、動詞は「果たす」になるんよ。ここ、理解できるにゃ?
で、このとき、「説明責任」の方はどうなってるかというと…
この場合、「説明責任」は「果たす」に対する目的格にゃろ? つまり名詞にゃろ?
そうなんにゃ。
「説明責任」という言葉には、「説明する」という動詞が本来含まれているはずなんにゃけど、それが「説明責任」という4文字にパッケージされることによって、名詞化しちゃってるんよ。
これがマズいんよ。と~っても マズい んにゃ!
なんでか?
端的にいうにゃ。
「説明責任を果たしなさい」
この要求に対しては、なんと、ノーコメント が回答になりうるんにゃ。
どういうことかというと、たとえばにゃぞ、「説明責任を果たしなさい」に対して、相手がこう答えたとするよにゃ。
「そのことについては記憶にありません」
「お答えできる立場にありません」
「わたしにはわかりません」
これ、ぶっちゃけ、全部 正しい 答えになるんよ。
なぜって?
だって、「責任」の方は十分に「果たして」いるにゃんか。
「説明」してないけど、「説明責任」は果たしてるにゃろ? 発言する という行為をもって。
「記憶にない」「答えられない」と、口に出すことで、この人、説明自体は何もしていないけど、アクションだけはし終えているにゃん。
アクション、つまり「果たす」の部分にゃ。
どうにゃ?「果たしてる」にゃろ?
ハイ、これにゃ。
これが、言葉の中で動詞を名詞化させて、そのうえで動詞の位置をズラしてしまうことの非常にマズい結果なんにゃ。
にゃので、「説明責任を果たしなさい」をやめて、単純にこう言ってみるとするよにゃ。
「説明しなさい」
これに対して、
「記憶にありません」
「お答えできる立場にありません」
「わたしにはわかりません」
なんて答えるとするよにゃ?
ホラ、雰囲気かなり違って来にゃい?
これって、アクションそのものを 拒否 することになってるよにゃ? 要は ケツ をまくるかたちにゃろ?
つまり、こちらでは、さっきの「果たす」ではなく、「説明する」が、求められるアクションになっているから、そうなるんにゃ。
にゃので、この場合の「記憶にない」「答えられない」は、さっきの場合とは違って、まさに「説明していない」わけにゃから、アクションとして認めてもらえないんよ。
尋ねるというアクションに対して、答える(説明)というアクションが無い。すなわち動詞部分が実行されていない状態では、人間 同士のコミュニケーションが完結しないということにゃ。
にゃので、そういう対応だと、追及された方は逃げ場を失うよにゃ?
追い詰められるにゃろ?
これが、言葉の中で動詞を安易にずらさないことの 効用 にゃ。動詞を安易に名詞化しないことの メリット なんにゃ。
にゃから、「任命責任」なんて言葉も同じにゃぞ。
「任命責任は総理にあると思いますが、いかがですか?」
「ハイ、任命責任は私にあります。以後気をつけます」
で、終わりにゃろ?
任命責任、なんてマヌケな言葉を使うからにゃ。
そうじゃにゃくて、
「総理はなぜあのような方を大臣に任命したんですか?」
の方が、総理はずっと答えにくいにゃろ?
「(嫌味なこと聞くなよ~)」の世界だよにゃ?
つまり、前者の「任命」は「任命責任」なんて言いくるめられて名詞化しているけれど、後者の「任命」は ナマ な動詞のままなんにゃ。
にゃので、こうなるんにゃ。
以上、名詞化しなくてもよい動詞をわざわざ名詞化し、そこに動詞をくっつけて言葉をぼやかす…
要は、動詞の位置をズラす…
これ、世の中につまらないスピーチや討論を増やしている元凶でもあるという話にゃ。
(イラストは「かわいいイラストが無料のイラストレイン」さんからお借りしているにゃ!)