信州上田の別所温泉。不思議な場所だ。
そこは山国信濃の山の奥。ここに向かう旅人は、千曲川沿いの街道をはなれ、明るく拓けた野を進む。
野は沃野。「塩田平」という。
だが、初めから沃野だったわけではないだろう。おそらくは無数の農業土木が古代から繰り返された。その証拠に、溜め池の数、大小百とも二百ともいう。
かつて、このあたりの収穫は、真田――仙石――松平、三氏にわたって上田の城下を支えつづけた。
この広い野を割って、いまは線路が走っている。上田電鉄という。その行き止まりに別所温泉がある。
別所温泉、古い湯だ。いつ頃からひらけたのかよくわからない。
枕草子に出てくる「七久里の湯」は、ここをいうのではないかとする説もある。あるいは、別だという説もある。
温泉街の外れに安楽寺という寺がある。いつの頃の開基かは、やはりわからない。
ただ、「別所」というこの地の呼び名には特別な意味がある。
たとえば、広辞苑をひらく。
「別所=本寺の周辺に結ばれた草庵の集落化したもの」
すなわち、平安時代の終わり頃から鎌倉期にかけ、阿弥陀如来を奉ずる浄土信仰が盛んになるにつれ、各地にこの「別所」が現れた。
別所に集う僧を聖(ひじり)という。この聖たちこそ、日本の温泉観光の立役者にほかならない。
日本各地に出湯を探し歩き、その効能を「仏の功徳だ」として、人びとにひろめたのが彼らである。
安楽寺は、遠い昔、別所に温泉がひらかれたと同じ頃、温泉を守る僧=聖(ひじり)たちの寺として、ともにひらかれたものだろう。
さて、そんな安楽寺に、あるとき新風が吹き込んだ。
ひとりの僧がここにやってきて、
「皆さん、私は宋に渡って禅を修めて来ました。一番新しい仏教を知っています」
教えを広めたのである。おそらく13世紀後半のこと。
しかも、彼の連れている弟子はなんと外国人。宋の人。
これには、塩田平中が「なんてハイカラなんだろう」と、大騒ぎ―――になったかどうかはわからないが、ともあれ、この師匠とお弟子さん、それまでの古い安楽寺を見て、
「一番新しいスタイルでリニューアルしよう」
と、決心したらしい。
資金が貯まると、工人たちを集め、
「禅の本場中国と同じような塔を建てたい」
と、した。
しかし、工人たち、
「そいつはね、和尚さん、磚(煉瓦)造りってやつでしょう。無理だ。本物を見たこともねえ俺たちには手に負えない」
「よし。だったら木でやってみよう」
そんなやり取りだったのかどうか、ともあれ、がんばってみた結果が今に残っている。
国宝「安楽寺八角三重塔」
近世以前の歴史的遺産としては、わが国に現存するただひとつの八角・禅宗様式の仏塔となる。
(写真は「写真AC」作者「カモメうみねこ」さんからお借りしてるにゃ)
(上記は初出2009年。情報は当時のものにゃ! トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)