<当サイトでは広告掲載をさせてもらってるにゃ>

東京音羽・鳩山会館 薔薇香る邸宅は友情のオブジェ <トラキチ旅のエッセイ>第17話

 

この建物は、かつて「音羽御殿」と呼ばれた。第52、53、54代内閣総理大臣をつとめた鳩山一郎の旧自宅である。

 

場所は東京の中心。文京区音羽の丘の上。「音羽」の名は、この建物によって有名になった。多くの東京人がこの建物を見知っている。

 

また、近くには、日本を代表する出版社も社屋を構えている。

 

戦前、戦後にかけ、漫画、アニメ、小説――さまざまなメディアに登場する「お金持ちの邸宅」というものの代表的なイメージづくりに、この音羽御殿は、おそらくもっとも貢献しているはずだ。

 

音羽御殿=鳩山一郎邸は、大正13年(1924)に完成した。見事な英国風の邸宅を設計したのは、岡田信一郎(1883-1932)。一郎と同じ東京帝大出身の英才である。

 

二人は友人同士。同年生まれ。

 

ちなみに、鳩山一郎はこの年、未だ国会議員初当選以来9年目。

 

一方、岡田は、華々しかったデビュー(※)以降続いていた雌伏の時代を終え、この頃、二度目の羽ばたきを始めている。

 

薔薇の香る邸宅は、40歳を過ぎてなお気鋭の建築家が、同い年の新進政治家へ贈った友情の証といっていい。

 

もっとも、建築家岡田信一郎のその後の人生は、まことに短かった。

 

元来、身体虚弱だったこの人は、鳩山一郎邸完成のわずか8年後、気管支と心臓を病み、50歳を迎えずにこの世を去る。

 

その後、鳩山一郎は、数度の政治的困難を乗り越えて総理大臣となり、日ソ国交回復を果たした。

 

昭和の代表的政治家の列に彼は名を連ねるが、岡田は、そうした友の挫折も、活躍も、そのほとんどを知らぬまま、花が散るように天の人となった。

 

なお、残された妻は、明治の末、日本一の美人とうたわれた人。


※ 明治45年、大阪市公会堂コンペ1等。現大阪市中央公会堂の原案。

 

(上記は初出2009年。情報は当時のものにゃ! トラキチ旅のエッセイは、過去に別の個人サイトで別名で公開していたコンテンツにゃ)