トラキチが世界一好きな彫刻は、イタリアのローマにあるにゃ。
ローマのいわゆる川向こう、トラステヴェレというところにゃ。
Basilica di Santa Cecilia in Trastevere ―――サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会にあるステファノ・マデルノ作、聖セシリアの像だにゃ。
イタリア語読みだと、サンタ・チェチーリア―――Santa Cecilia になるにゃ。
トラキチは、実はイタリア語が大好きで、母国語である日本語も飛び越えて世界一美しい言語であるように感じているんにゃけど、聖セシリアに関しては、スペイン語読み風の「セシリア」の方が好きなんよ。
なので、聖セシリア にゃ。
ちなみに、フランス語読みだと「セシール(Cécile)」になるよにゃ。
以前、聖セシリアの祝祭日の11月22日に、家に通販会社のセシールから荷物が届いてドキッとしたにゃ。
届いたのは色っぽい下着にゃった。トラキチの彼女が頼んだものにゃった。にゃはは。
サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会は、最初は5世紀頃に建てられたと伝えられているにゃ。その後9世紀に建て替えがあって、16世紀の終わりにも建て替えられたにゃ。
このうち、後者の建て替えの際、教会内に安置されていた柩の蓋が開けられたということになってるにゃ。
聖セシリアのものとされる柩にゃ。1599年の出来事とされているにゃ。
中から出てきたのは、言い伝えのとおり、首に痛々しい刀傷のついた女性の遺体だったにゃ。
現場には、彫刻家のステファノ・マデルノ(Stefano Maderno)も呼ばれていて、早速それを見本に、作品を仕上げたということになってるにゃ。
もっとも、これは多分誰かの書いた筋書きに沿ったイベントだったんにゃろうな。
つまり、遺体もそれ自体がすでに別の彫刻で、事前に棺の中に仕込まれていたんにゃろうな~と、いうことにゃ。
ともあれ、マデルノ自身は、「棺桶から出てきた遺体を見て私はそれをモデルにした」と、宣誓はしているにゃ。
聖セシリアは、いわゆるおとめ殉教者のひとりにゃ。
ローマによるキリスト教迫害時代の犠牲者のひとりであるとされているにゃ。
同じくキリスト教徒だった夫を殺されても宣教をやめなかったんで、浴室に放り込まれて、高熱の蒸気で蒸されたにゃ。
それでも死ななかったので、ついには斬首刑に処されたといわれているにゃ。
ただし、斬首の方もなぜか上手くいかなかったにゃ。かわいそうに、セシリアにゃんは首に3度刃を振り下ろされて、深手を負ったまま、3日間にわたり苦しんだ末に死んだとされてるにゃ。
3太刀・3日にゃ。
聖なる3になってるよにゃ(三位一体)。
残酷な話にゃけど、もちろんこちらもおとぎ話の可能性はあるよにゃ。
ステファノ・マデルノは、いわゆるマニエリスムからバロックにかけてのあたりで活躍した人にゃ。(1576-1636)
ただし、そんなに有名ではないにゃ。
それほど大した作品は残していないのではないかにゃ。全部は知らにゃいけど。
それでも、トラキチはこの聖セシリア像一作をもって、彼を人生で出会った最高の造形家としているにゃ。
理由は、この作品に燃えるような体温を感じるからにゃ。
この聖セシリアの彫像は、もちろん石で出来ていて、しかもモデルは死体か、死体のまがいものにゃ。
ところが、トラキチにとっては、この彫刻作品ほど、作品に体温や鼓動、血潮を感じるものがほかにないんよ。
要は、見ていてとても 愛しい んよ。
無残に手枷で括られたその手をギュッと握ってあげたくなるよにゃ。
死体なのに可愛らしいんよ。こよなく。
その意味で、この作品は、ミケランジェロのピエタよりも数倍美しく「死」を。ベルニーニの聖テレジアよりも何倍も美しく「法悦」を。人間がかたちに成し得た大傑作だと思ってるにゃ。
カトリックは、本当にいやらしいくらい融通無碍な宗教にゃ。
おとめ殉教者などという、よくみればやたらとかわいいキャラで人を攻めてくるにゃ。
聖母信仰もそうにゃろ?
ラファエロなんかはそこをよくわかっているよにゃ。なので、萌え絵を描くよにゃ。ムリーリョなんかもっとあからさまに確信犯にゃ(笑)
要するに、カトリックはどこか大いに 女神教 なんよ。
その遠い理由について、トラキチは、キリスト教がローマから地中海世界に大きく広がっていく過程で、各地方、各地方の女神教をどんどん取り込んでいったことによるものと思ってるにゃ。
▲ サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ教会
(それなりの規模を指す「バシリカ」の名前をもらっているので、サンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ聖堂と訳してもいいんにゃないかにゃ)
▼トラキチが世界一好きな「都会」もイタリアにあるにゃ